こんにちは
みさきです。
今日は節分ですね。
皆さんは恵方巻は食べられますか?
今年の恵方は東北東だそうですね。
我が家は節分の日の晩御飯は恵方巻と
決めているので、今日は考えずに恵方巻を
買って来ればよいので楽です
美味しいですし!
節分の前日の昨日、幼稚園には鬼が来て
豆まきの日でした
ですが、息子は幼稚園に行きませんでした。
いつも、午前中は児童発達支援に行き
その後、送迎車で幼稚園に送ってもらい
お弁当の時間から参加するのですが、
昨日は、児童発達支援は入れずに
午前中に幼稚園に送っていく予定にしていました。
先週1度、すんなりそれが出来たの
今回もできるだろうというつもりで。
ところが、朝
息子にそのことを伝えると
「違う。行かないよ!
〇〇(児童発達支援の名称)だよ!」
と言って、
幼稚園に行くことを拒否したのです
よく話してみると、
午前中は児童発達支援に行きたい。
幼稚園はその後がいい。
いつものその流れがいい。
という事のようです。
息子の中では、そういうことになっているのかなと。
幼稚園の先生には、
午前中に連れていきますと伝えてある。
今日は楽しい行事がある。
だからなんとか息子を午前中に幼稚園に連れていきたい。
児童発達支援はわざわざお休みにしているし、
行かないなんて言わないでー!
という思いで、私は息子に
「行こうよ!」
「行ったら楽しいよ~♪」
「今日は豆まきだよ~。鬼、追い払ってきてよ」
などと、動かない息子に
あれやこれや声をかけて連れ出そうとしていました。
でも、それをしながら私は
これって、コントロールだな。
児童発達支援をお休みにして
午前中からなんとか息子を幼稚園に
行かせたいという
私のエゴの押し付け
だということに気付いていました
息子にしてみれば、
そんなこと聞いてないし。
勝手に決められても僕は嫌だよ。
というところでしょうか。
それで、
幼稚園に行かせようとすることは辞めて、
行けないのでお休みすると電話を入れました。
私の心がザワザワしていたので
そこに意識を向けてみました。
出てきたのは、
私は、幼稚園の先生に連れていきますと
伝えてあるのに、連れていけないということが
嫌だった。
言ったことが、その通りにできないことに
自分はダメだという劣等感や恥ずかしさを
感じてしまうんだな。
先生は、私が連れてくると思っているから
それをしないという事は
先生の期待に応えられないということだ。
(別に、期待されている訳ではないか)
期待に応えられない私は価値がない。
相手にされなくなる。
という
メンタルブロックが発動しているな。
と気付きました。
もちろん、
先生はそんなこと思わないことは分かっていますが、
無意識がそのように働いてしまうのですね。
そして、私はそう感じてしまうよね。
と受け止めて、
でも、だれもそんな事は言わないよ。
大丈夫。
と意識的に捉えなおしてみました。
それからもう一つ、
私は息子に、みんなと一緒に節分の行事を
楽しんでほしかったんだな~
今年で卒園。
来年はもうないから、それが出来ないことで、
私は悲しかったんだな~
と、その感情は追いやらないで
しっかり感じてみました。
そうしているうちに、
ま、いっか。
とザワザワした気持ちが消えていきました。
息子を見れば、switchに夢中です
本人は悲しくもなんともなくて
楽しそうにしているんです
そしたら、笑えて来ました
節分行事に出られなくて悲しいと思っているのは私で、
本人は今、楽しんでいるんですもの。
私は息子を通して
自分の心と向き合わされることがあります。
息子は、私に気付きを与え
心を成長させてくれる存在なのかもしれません。
人は生まれてくるときに
役割や使命、目的をもってこの世にやってくると
聞きますが、
こういう息子が私のところに
生まれてきたのも
きっと、意味があるのでしょうね。
私は今まで、大きな失敗や挫折もなく
(かといって、大きな成功もない)
どちらかというと可もなく不可もなく
無難に生きてきた人間だと思っているので、
きっと、意味があるのでしょうね。
昨日はどこへも出かけずに
一日中家にいた息子は
今日は
長い滑り台に行くんだと張り切って
夫と娘と公園へ出掛けて行きました
私は豆と恵方巻を買いに行ってきます