昨日お買い物から家に帰ると、家の向こうの見晴台に大きな大きな太陽が、一日の仕事を終えて、家に帰ろうとしているのが見えました。


それはそれは大きくて、そして、不思議なほど真っ赤でした。


「こんな夕日めったに見られない!」と思った私は急いで家からカメラを持って、走って見晴台に向かいました。


走って見晴台に向かっているのは私だけでなく、他の近所の人もいました。



この見晴台は、海の入江、向こうには江ノ島、天気がよければその向こうに富士山も見えてしまう、近所の人ぞ知る素晴らしい絶景ポイントです。

そして西にあるため、いつも夕日を見ることができるのです。


見晴台にはすでに2人くらい人がいて、太陽が美しく消えてゆこうとする一部始終を見ていたらしく、私はうらやましく思いました。


走って1分もかからないくらいで見晴台につきましたが、夕日はさっき見えたのよりだいぶ見えにくくなって、今にも山に隠れようとしていました。


   ↑写真じゃあまり伝わらないですね↓



一日中みんなの暮らしを明るく照らしているというのに、去り際はどうしてこんなに早いのでしょう。


美しいものはいつだって儚く、長続きしないのです。

永く続かないからこそ、そこにもの悲しさが加わり、余計に美しさが増すのかしらと思います。


太陽のために駆けつけた人が私の後からもばらばらと来て、その素晴らしさを共有しました。


それは、映画館の中で、ひとつの映画を観てみんなが笑っているような光景にも似て、全然知らない人同士が、ひとつの景色を見て同じ気持ちを共有できたというのはなんだかとても素敵なことのように思えました。


自然の美しさに、走っていける自分の自然を愛する気持ちがあることをうれしく思い、そういう風景をいつでも見ることができる、自分の環境を有り難く感じました。


太陽がすっかり見えなくなってしまうのを見届けて、5時の鐘を聞きながら家に帰るとき、なんだか幸せだなぁーと思いました。