4月10日(日)
9日から宮城・多賀城の実家に戻りました。
4月7日の地震の影響もあり、実家は停電中。
9日の夕方にようやく電気が戻りました。
家電の買出しに行き、実家の復旧はほぼ終了。
あとは、
①風呂釜の修理
②壁紙の張り替え
③畳の搬入
など、まだやるべきことはありますが、
業者にお任せ。
ここまでの道のりは大変でした。
けど、住む家があるだけ、まだマシ。
家を失った人。
大切な思い出を無くした人。
家族を亡くした人。
職を失った人。
多賀城の八幡地区は浸水被害にあい、
悲惨な状況だと思っていました。
しかし、
私達家族には住む家があり、
そして全員揃っています。
それが、どれだけありがたいことか・・・。
ありがとうございます。
ここからが本題。
10日は朝から行動開始。
おじさんと一緒に用事で、松島~石巻に行ってきました。
そこで見たもの。
感じたこと。
現実・・・。
それを以降何回かに分けてブログにアップしていきます。
塩竈から松島を抜けて、東松島町へ。
ここまで走ってくる間、
どれだけ津波に飲まれた家を見てきたか。
そのたびに声を失う。
そして、仙石線の東名駅周辺に到着。
自衛隊が、川底を突いて捜索をしていました。
あ、あれは・・・
ヒドイ。。。
ここから見える水の地域は海ではありません。
住宅地でした。
・・・1ヶ月が経つのに、まだ水すら引いていません。
ここにはぎっしりと家が建っていて、生活がありました。
その1つ1つに幸せな生活がありました。
今、ココにはガレキと不安が埋め尽くしていました。
河と、宅地、そして海の区別がつきません。
情報は知っていました。
しかし、ここまでの惨状とは、正直思っていませんでした。
実際に自分の足で立ち、目で見て・・・。
・・・何も言えませんでした。
声なんて、出ませんでした。
ネット上で流れている文字情報に踊らされ、
現実を全て把握している気に、
知った気になっている人に、
是非見てもらいたいです。
ここには人がいて、
ここで被害にあい、
被害から立ち直ろうとし、
立ち直ろうとする強い心と、
強い心の裏返しの折れそうな気持ち。
それが、あるんです。
次回は、さらに東に進みます。







