オナジと、ビョウドウと、 | MONKEY☆MAGIC KICKBOXING STUDIO 
この世の中
同じなんてなくてあるわけなくて
よく
みんな同じように接してくれ
そんな風に言いますが
それはそれで不可能だし、
あり得ないと思うのです。

そんなこと言い出したら
巷にあるシルバーシートはいらねーじゃねーか?
もしくは
受験勉強なんていらなくなるし
何かにつけて順位をつける必要も、
もちろん
競い合いや、
何かを目指して頑張りなさい!
そんなことすら
否定するのかオマエさん!
なると思うわけです


いつの時代だか
徒競走はみんな一緒にゴールしましょう!
とか、
みんなが主役だからと
白雪姫が10人いたり、、、とか、
そんな時もありました


頑張るやつを
応援したくなるのが
人間の性ではないのでしょうか?


頑張ってるなコイツ
そーゆーヤツが
勝ったりすると
とても嬉しかったりするんです、
それを見て
アイツの時は喜んでる!


そんなことを平気で言える親がいたりして、、、困ったものです


平等、
僕の思う平等は
勝った負けたの結果が全て!
そう、教えてはいるものの
頑張るヤツに、
夢中になっているヤツに、
多少なりとも感情移入してしまう!
応援したくなってしまう!
まあ、当たり前なのではないか?と、思うんです


勝った
敗けた
結果はもちろん重要ですが、
直接間近でみている僕は
結果以上に過程をとても大切にし、褒めてしまいます

それが単純に
“平等”
と、呼ばれるものではないのでしょうか?



第三者的には“結果”のみが全てではありますが
直接みてれば
過程を讃えてあげたいとも思います

それがなければ
“同じ”なんて
ただの“不公平”を遠回しに便利で使える“イジメ”用語にしか思えません
頑張ったから報われるものなんて大したことは無いけれど、
頑張れば、自然と周りもそれに惹かれて頑張ってしまう!そんなものです 
そんな事を認めれた方が“平等”なんじゃ無いかと思ってます



マサル