同じなんてなくてあるわけなくて
よく
みんな同じように接してくれ
そんな風に言いますが
それはそれで不可能だし、
あり得ないと思うのです。
そんなこと言い出したら
巷にあるシルバーシートはいらねーじゃねーか?
もしくは
受験勉強なんていらなくなるし
何かにつけて順位をつける必要も、
もちろん
競い合いや、
何かを目指して頑張りなさい!
そんなことすら
否定するのかオマエさん!
て
なると思うわけです
いつの時代だか
徒競走はみんな一緒にゴールしましょう!
とか、
みんなが主役だからと
白雪姫が10人いたり、、、とか、
そんな時もありました
頑張るやつを
応援したくなるのが
人間の性ではないのでしょうか?
頑張ってるなコイツ
そーゆーヤツが
勝ったりすると
とても嬉しかったりするんです、
それを見て
アイツの時は喜んでる!
そんなことを平気で言える親がいたりして、、、困ったものです
平等、
僕の思う平等は
勝った負けたの結果が全て!
そう、教えてはいるものの
頑張るヤツに、
夢中になっているヤツに、
多少なりとも感情移入してしまう!
応援したくなってしまう!
まあ、当たり前なのではないか?と、思うんです
勝った
敗けた
の
結果はもちろん重要ですが、
直接間近でみている僕は
結果以上に過程をとても大切にし、褒めてしまいます
それが単純に
“平等”
と、呼ばれるものではないのでしょうか?
第三者的には“結果”のみが全てではありますが
直接みてれば
過程を讃えてあげたいとも思います
それがなければ
“同じ”なんて
ただの“不公平”を遠回しに便利で使える“イジメ”用語にしか思えません
頑張ったから報われるものなんて大したことは無いけれど、
頑張れば、自然と周りもそれに惹かれて頑張ってしまう!そんなものです
そんな事を認めれた方が“平等”なんじゃ無いかと思ってます
マサル