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鹿児島セラピスト目指し中えむのブログ

プロセラピスト(カウンセラー)目指してます。鹿児島在住、自分らしく生きたいとやっと目覚めた50代。
学ぶなかでの気づき、日常のなかでのひらめき、ただの思いつき、迷い楽しみ心のままに書いてます。

こんにちは。
☆プロセラピスト(カウンセラー)目指し中♪~鹿児島在住のMです。

正論はある。理解はできる。でも、それが正しいとは、思わない。
例えば、ある人について、「彼(彼女)は○○だ」と言うのは、その人の主観だからいい。でも、「だから正しい」とか「悪い」とか言った途端、その人自身も他の誰かに(あるいは、自分自身に)ジャッジされている。
そんな世界が心地いいならそれもいい。わたしは嫌。誰からもジャッジされたくないし、批判されたくない。
あなたは◇◇した方がいい、と言われたなら、アドバイスとして聴く耳はある。それについて納得すればその意見に従うだろう。
また、あなたは○○だから嫌いだ、と言われるのもいい。それは非難ではなく、気持ちだもの。それはそれで小気味よい。
だが、わたしのやり方考え方に、あなたは間違ってると言われるのは嫌。(もちろん数式のように明らかに答えが決まってる場合は別だけど)
わたしも誰かに不躾に「あなたは○○だから、わたしは△△と思う」と言う。いいことも良くないことも。嘘はつけないから。でもそれは、正悪を言っているのではない。わたしの意見を率直に言った上で、そこにあることを受け入れる。それについて正しい、悪いを決めるのは本人だし、どちらとも決めなくてもいい。わたしは、ジャッジはしない。その人がジャッジされ非難されたと考えて、NOと言ったら仕方ないけど。でもそれはその人のモンダイ。
とにかく、人にもものごとにも好き嫌いはあっても(といっても嫌いな人って思いつく限りではいないけど)、正悪の判断はしない。
それは楽しく過ごすコツのひとつではないだろか?と思うこの頃。
ありがとうございます。