人に歴史あり――
というのは介護をしていると、よく感じる。
今はご老体で身体が思うように動かず、認知症であったり、おむつが必要であったりするわけだが、そりゃあ諸行無常、世の常ってやつなんで仕方ない。
そんなお爺さまお婆さまにも、必ずみな若き日があった。青春と言い換えてもよい。
これまでにもこちらの日記で、
帰国子女のお婆様だったり、元一流インテリアデザイナーのお爺様だったり、いろいろ利用者さまを紹介してみたけど、今回は特に、その経歴に驚かされたお爺さまをご紹介したい。
名を西さん(仮)という。
――施設におられたのはもう5,6年前か。
西さんは入所当初から、すんごく静かなお爺様であった。
というかまあお爺さんというのは、たいがい大人しいのだが、中でもトップクラスに静かであった。
「あの人が西さんで今日から入った人ね。家族はいるけど今は独居みたい、で」
ある日の出勤時、先輩のスタッフが西さんの紹介をした。
ベッドに座っていた西さんは、背中が猫背で丸まっており、ぢーっとテレビを見ていた。
他の利用者さんと比べるとずいぶん若くみえた。
「もの静かだけど素直な人で手もかからない人だよ」
「ああ、そうなんすか。よかった」
「話もぜんぜん通じるし、身体も動くしトイレも自立ね」
「へえ。でもそれ介護とか必要なんす? まだけっこうお若いすよね?」
「アル中なんだって」
「……アル中……っ?」
アル中?? で介護施設にくることなんかあるんけ?
と思った方。
自分もそう思った。
しかしこれは珍しいことでは無く、一人暮らしのお年寄りがお酒に溺れることはザラにあるケースだそうだ。
先輩曰く――
どんな事情かまでは知らないが、西さんは家族と離れて一人暮らしい。で、かなりの酒好き。
余生の楽しみは酒しかねえ、みたいな感じで毎日家でひとり飲みまくっていたのだが、ある日、アル中でぶっ倒れて救急搬送。
大事には至らずしばらく療養していたがそのまま元の生活に戻ると、ぜったいまた飲みまくるっしょ? とご家族に判断され、軽度の認知症も見られたこともあえい介護申請。
この施設に飛び込むような形でやってきたらしい。
「まあだから今は大人しい人だけど、酒飲まさないでね。はははははは」
と先輩スタッフは笑いながら去っていった。
「ははは……」
と愛想笑いで返したが自分は内心、マジ嫌だなあーと思った。
アル中になんぞいいイメージもちろん無く、そりゃ、今はまだ来たばっかで、遠慮してるけども、だんだん本性を表すに違いない。夜中に
「お兄さん、お酒ない? お酒?」
とか詰め寄られ、無いですつってんのに勝手に冷蔵庫や食器棚を漁り始め、いやいやちょっとダメですって注意しても
「なんだよ、あんじゃねえかあーー」
とかいって調理酒の瓶を持ち出して、ちょっと置いてくださいってその腕を掴んだ日にゃ、もう最後
「なんじゃいさっきからおんどれぃワシが飲みたいいうとんのじゃこのドロ亀があっ」
とアウトレイジばりに啖呵をきって、そのまま一升瓶でどつかれて、頭から血が流れて、管理者に報告しなくっちゃ、とかダサい台詞をいいながら絶命してしまうかもしれない。
そんなのはごめんだ。
まあそんな血みどろな展開は無いにしろ、
ただ暴れるご老人というのは実際、稀にいらっしゃる。これがはっきりいって、なかなかマジ勘弁である。こちらが強引に抑えるわけにいかず、かといって放っておくわけにもいかず……しかしどうにか気を沈めてもらわないといけない、という無理ゲーっぷり。
静かにスースーと眠っている、西さんが、実に不気味な存在に思えてきた。
フラグにしか思えぬ。
しかしそっから1週間たてど――
1か月たてど――
西さんがその本性を表す様子は一切なかった。
それどころかひたすらに大人しく、こちらの言ったことも素直に訊いてくれるんで、スタッフからの評判もすこぶるよかった。
さらに大概のことは自分でできるので、介護というような介護も必要がなく、全く手がかからない方ときている。
そんなある日。
ついに西さんが本性を表すことに――しかし思いもよらぬ本性であった。
昼間のこと。(自分は夜勤なので居合わせなかった)
歌を歌うレクエーションがあった。介護施設では利用者さんと体操したり、ゲームしたり、様々なレクエーションとかが行われる。その日は歌のレクだった。
スタッフの一人にギターを弾ける者がいて、その日はアコースティックギターを持参してきていた。ギターを演奏し、利用者さんに簡単な歌ってもらおうという素晴らしい試みである。
ところがレクが始まる前、西さんが、何を思ったか壁に立てかけてあったギターにおもむろに近づいた。そして手にとった。
「あ、西さんすいません。それは触っちゃダメですよ」
スタッフが注意をするが、
「……………」
西さんは無言でギターをイジくっている。「西さん訊いてます…? それちょっと置いてく――」
と言いかけたその時
ジャガジャガジャガジャガジャジャジャジャン!!♪
「!!!?」
居合わせたスタッフ一同、驚愕して固まった。
かの猫背のアル中の老人……西さんがギターをかき鳴らしているのである。
なんだこの、ただの爺さんだと思ったらカンフーの達人だったみたいな。
売店のお婆ちゃんが会社の会長だったみたいな。
この漫画チックな展開……
トゥクトゥクトゥクトゥク!!♪
みんなが唖然としていると(利用者さんはほぼノーリアクションだけどそれはご愛敬)
ジャジャジャン!!!!
と演奏をしめくくった。
すんっとなってギターを置くと、またいつもの猫背の西さんに戻った。
「す、す、すごーい!!!!!!」
スタッフ一同から西さんのギターパフォーマンスに拍手喝采が送られた。
「西さん、ギターやってたの!?」
と興奮したスタッフが西さんに問うた。西さんは少しはにかんで一言。
「ちょっとね」
と答えた。
――この話は、すぐに施設内で持ちきりに。次の日にはもう自分の知るところになった。そして自然発生的に、西さん元ミュージシャン説が浮上した。
なんとなく偏見たるイメージで酒とミュージシャンってキーワードが自分の中でリンクし、アル中だったことも妙に納得がいった。
さて、
本人は多くを語らないため、というか、喋るという行為自体がほぼしないため真相は闇に包まれていたが、しかし後日、
ご家族にそのギタープレイの話をしたところ、ついにその西さんヒストリーが明らかになった。
まず予想通り西さんはかつて、やはりミュージシャンであった。
しかも驚いたのが、西さんはバンドのメンバーで、そのバンド名はその世代じゃない自分でも、あ、訊いたことある!? となるようなの著名なバンドであった。
ネットでもすぐに画像や曲が出てきた。
「しかも驚くのがね……」
「はい……」
先輩スタッフが自分に言った。
「〇〇〇〇が初来日した時のバックバンドを務めたらしいよ」
「えええええっ?!」
誰もが知る世界的な超ミュージシャンであった。
急なビッグネームに自分はひっくり返った。
西さんの技術は世界レベルであり、日本人の信用できる演奏者としてお呼びがかかったのだろう。
「さらに驚くのがね……」
「はい……」
「西さんね……」
「はい……」
教えたくてしょうがない先輩スタッフは溜める。自分はごくりと息を飲んだ。
「……ドラムだったんだよ」
………………………。
「……ドラムかい……」
と自分は小さく言った。
なかなかリアクションが難しい裏切りであるが、事実なものはしょうがない。
ギターをかき鳴らした話から始まってんだから、話のまとまりとしてはギタリストだった方いいけども、そんな話のまとまりなんてこっちの都合であって、一人の男の人生に関係あらず。
ドラムなんて超カッコいいじゃないか。
西さんはまぎれもない一流のミュージシャンだったわけだ。
背中を丸めてテレビを見ている、西さんの背中がその時ばかりはでかく見えた。
―――それからだいぶ後日だが。実は一度だけ
「あの、お酒とかありますか?」
と深夜に西さんが起きてきて、訊かれたことがあった。
――きたかっっ!!?
と身構えながら、自分はできるだけ理路整然とした態度で
「無いっす!」
と答えた。すると西さんは、
「そうだよね……」
と寂しそうな顔をし、布団に戻って行かれた。
正直いうと、一杯飲んでもらって昔話でも訊かせてほしかった。