こんにちはガン太です。
あまり知られてませんがボクは毎月、水道橋博士のメルマ旬報と言うメールマガジンで
【ハカセー・ドライバー】というコラムを
連載しています。(水道橋博士の運転手なのでこの名前)
文を書くという慣れない作業をもう4年以上もやっているのですが、中々読んでもらえる機会が少ない状況です。

メルマ旬報は月500円で60人以上の豪華執筆陣の連載が読める。ごっついメルマガです。
しかし、有料が故に過去のコラムが埋もれていってしまいます。
単行本にでもなれば報われるのですが
何だかそれも難しそうなので
色々な人に読んでほしいなーって欲が最近強く出て来ました。
なので過去書いた古いコラムは
今なら読んでもらえそうだ。
みたいなタイミングがあればブログで流していこうかなと思います。

ボク達マッハスピード豪速球は
4月2日にオフィス北野を抜ける事を発表しました。(5月11日のフライデーナイトライブを最後に事務所を抜けます。)
ビートきよしさん、なべやかんさん
のオフィス北野脱退表明に続いて3番目の脱退の意思を発表したのがボク達で
かなり早いタイミングだったのでワイドショーなどに写真を使われるなど思わぬ目立ち方をしてしまいました。

ボクらの脱退発表後若手たちが続くと何となく思っていたのですが、この後しばらく意外にも脱退発表をする者は1人も居ませんでした。

4月20日で今までの業態を変えて新体制になるとオフィス北野が発表していたのでそれまでは動かないでおこうと言う賢明な判断だったのでしょう、20日を皮切りにバベルや元祖いちごちゃん、ホロッコなどが続々と脱退を発表していきました。

そして2018年4月23日放送の
TBSラジオ
東京ポッド許可局
でマキタスポーツ、米粒写経、プチ鹿島
がオフィス北野を抜ける旨を発表しFA宣言
をしました。


「マッハスピード豪速球はオフィス北野所属って、たけしさんの弟子なの?」
良くこの質問をされます。それほどに
オフィス北野と言えばたけし軍団さんなどの
けしさんの弟子と言うイメージが強いのでしょう。

ボク達マッハスピード豪速球はたけしさんの弟子筋ではありません、では何故オフィス北野に所属して居たのか?
それは先程挙げた
マキタスポーツさん、米粒写経さん、プチ鹿島さんが深く関わっているのです。
この方達が居なければボクらはオフィス北野には居なかったでしょう。

今回ハカセー・ドライバーから抜粋するのは
2014年7月頃に書いたコラムです。

三木プロダクションを辞めてから何故オフィス北野に所属することになったかを語っております。
これを経て今またフリーになるとは。
と感慨深いです(笑)

例の4月23日放送の
東京ポッド許可局
と合わせて読んでいただけたら更に味わい深いでしょう。


↓↓↓

『マッハスピード豪速球、ガン太』の【ハカセー・ドライバー】です!!
 
ご存知かもしれませんがボク達マッハスピード豪速球は、オフィス北野に所属しています。
今回はマッハスピード豪速球のオフィス北野所属に至るまでのお話
 
芸人の事務所の所属遍歴を聞いてみたりするとそこには偶然とは思えないドラマや因縁や運命を感じるものです。
 
ほんの何年か前ボクはオフィス北野に所属している何て全く予想もしていませんでした・・
 
では何故世代的にドップリたけしさんに浸かっていないボク達『マッハスピード豪速球』が
現在オフィス北野に所属しているのか!?ここにも少なからず運命的な出会いや因果ドラマがありました。

ボクらマッハスピード豪速球がライブで初めて絡む芸人さんなどとお話しをしていると「何でオフィス北野に所属したんだ?」と言う質問を多く受けます。
 
理由は分かります。
『オフィス北野』にボクらみたいな若手のコント師と言うのは異色なのです。
他事務所からの『オフィス北野』のイメージと言えば、“キワモノの集まり”“アウトローな香り”“恐い”“ビートたけし”“たけし軍団”“弟子入り”“賞レース(M1、キングオブコントなど)に引っかかるようなネタをする人がいない”みたいな感じのはず。
 
たけしさんが大好きでしょうがないとかならまだしも、わざわざ足を踏み入れなくても・・。
と思うのでしょう。
 
確かに普通に考えてコントを得意としているのならキングオブコントで優勝者、決勝進出者を量産している『プロダクション人力車』などが妥当です。
 
芸人にとって、事務所選びというのは非常に重要で事務所に入れれば何とかなるという問題ではなく、事務所の色と自分たちが合うかが凄く重要です。
この事務所はこういう路線の芸人さんを強く売り出しているな。とか、自分たちはこういう芸風だから合うかもしれないな。とか、ここはタレント性が強い芸人ばかりだから自分らは押されないだろう・・など戦略的に考えるべきものなのです。
 
ここではダメだ。どこか他の事務所へ、という漠然な理由だけで前の事務所を辞めた約2年半前ボクらはそれこそコントの強い『人力車』や若手の層が厚い『マセキ芸能』などを中心にオーディションを受けてました。
因みに事務所によって多少違いはありますが若手芸人が事務所に入るには事務所が主催しているお笑いライブのオーディションに行きオーディションで受かり、そのライブで結果を残し、先輩、マネージャーなどに人間性や芸人性を認めてもらうという事が必要です。(養成所からそのまま所属になるのは別)
  
ボクも当時オフィス北野に浮かべていたイメージはさっき書いたような感じだったので『オフィス北野』のネタ見せオーディションに参加したのはだいぶん後の事でした。
そもそも、『オフィス北野』にネタ見せオーディションがある事が意外でした。
たけしさんの弟子入りという方法しか『オフィス北野』への入り口は無いと思っていたからです。
 
通常事務所のネタ見せオーディションは作家とマネージャーがドンと偉そうに見ている事が多いのですが、北野のネタ見せは違いました。
 
真ん中にマキタスポーツさん、サンキュータツオさん(米粒写経)居島一平さん(米粒写経)がいて、端っこにマネージャーと作家がいるというスタイルでした。
 
先輩の芸人がど真ん中で見ている始めての
スタイルです。
こんな、オーディションは今までありません。
 
「皆様お集まり頂きましてありがとうございます。それではオフィス北野『フライデーナイトライブ』チャレンジコーナーのオーディションを始めます。えー我々ネタを見て意見を言いますがこれはあくまでこちらの1つの提案、意見なのでそれを無理強いするわけではないのでそのつもりで聞いてください」
というサンキュータツオさんの慎ましいご挨拶からオーディションは始まりました。

この頃、色々なオーディションに参加して行く中ネタに対するダメ出しの無理強い感の強さに違和感を覚えていたので、このタツオさんの前振りがボクの心にしっくりきたのを覚えています。
 
ネタをやった事もない作家でもネタを作った事もないマネージャーでもない
プレーヤーである芸人が見ているこのオーディション何かしっくりくる・・しかもボクはこの人たちを知っている。
マキタさん、サンキュータツオさん、ボクはこの方たちの『東京ポッド許可局』と言うネットのラジオ(現在はTBSラジオ)を(『プチ鹿島』さんも含め3人のラジオ)知り合いの芸人の勧めで聴いていたのです。
その内容はM-1グランプリを内側から語るような内容でした。
それは良くある面白かっただの俺はここに優勝して欲しかった・・みたいなヌルい内容ではなく、ネタの構造を分析し理解しながら更に過去のお笑い知識を引用しつつおこなったりするのです。さらには審査員の好みから点数の付け方の癖みたいなディープなところまで・・。
 
純粋に面白いコンビが勝ち抜いてM-1決勝に出ているんだとテレビを真正面から見ていたボクは、お笑いを戦略的、理論的かつロマン的に話している『東京ポッド許可局』を聴いた時は自分の笑い論の幼稚さに焦りを覚えたものです。
やっぱりライターや作家ではなくプレイヤーの言葉には説得力があります。
 
こんな人達にネタを認められるのか・・。
 
ネタ見せは始まりました。
若手が2分のネタを行い、そこから質疑応答を5分くらいする。の繰り返しです。
 
何組かやって気が付いたのは必ずネタが終わってからのマキタさんやタツオさん、居島さんの一言目が「面白かったです。」
という事です。
これって実はすごい事で、他のネタ見せではありそうで無い事なんです。
大体は一生懸命ネタやって「ありがとうございました」まで言っているのに“んんー”
とか言いながら“どうしたものかね”みたいな顔でダメ出しを始めるところがほとんどです。
 
しっかり目を見て発せられる「面白かったです。」は、いわばご飯を食べた後の「ごちそうさまでした。」と一緒の事、そこからお笑いへのリスペクトを感じたものです。
 
面白かったのがネタの質疑応答中そのネタの方向性などについて
タツオさんとマキタさんの意見が割れて度々
口論が始まったりするのです・・若手側からすると気まずくてしょうがありませんが、
若手のネタについて口論って、すごい熱量です!

ボクらが用意したネタは韓流アイドルブームの日本に目を付けた中国人が韓国アイドルになりすましテレビに出るが、徐々に中国人の気質が出てしまいバレてしまうというネタでした。
やり終えると、例のごとく面白い。から始まり、質疑応答から今までの経歴などを話しました。一通り話したところで、「他にどんなネタがあるの?」と聞かれたので
説明すると
「見たい!!今できる?」
と結構な食いつき方をされ
“あれ?オレらハマってる?”と手応えを感じたのを覚えてます。
後にマキタさんによると「初めてお前らを見た時、暗い気持ち悪い奴らだと思った」との事なのでネタだけハマっていたのでしょうけども‥
 
という事でネタ見せが終了し、帰るころにはボクはすっかり『オフィス北野』に入りたいモードになっていまして、帰りには元々知り合いだった芸人に北野の情報を聞きまくって帰りました。散々偉そうな事書きましたが一番の理由は褒められたのが嬉しかっただけです。
 
後に博士の車を運転している時【浅草お兄さん会】(お笑いライブ)の話を聞いたことがありのですが、このライブは『浅草キッド』さんが自ら主催(旗揚げ)したレギュラーライブだったと言う事を聞いて驚きました。
しかもキッドさん自らオーディション会場に足を運び全員のネタを見て出演者を決めていたという事です。『浅草キッド』がネタ見せで座って見ているなんて何だか想像つきません・・
 
そして“ビートたけしの名のもとに集まれ”と言うオーディション募集に吸い寄せられるように集まったのが『マキタスポーツ』『米粒写経』『東京ダイナマイト』『U字工事』『プチ鹿島』などなど今になって考えるとそうそうたるメンバー。

マキタさんなんてこの頃ほとんどシロート同然で相当荒削りなネタだったらしいです。
それでも博士、玉さんはこの二組の才能を見逃さずに出演を許可したのです。
第一声「おもしろいねー」と話し始める博士が何となく浮かびました。 

【フライデーナイトライブ】はマキタさん米粒さんが立ち上げたライブです。イズムが引き継がれているとしか思えません。
 
フライデーナイトライブチャレンジコーナーにボクらは合格しました。
チャレンジコーナーとは、8組ほどのオフィス北野所属を目指す若手芸人が2分のネタを披露していきお客さん投票で順位を決めるバトルコーナーです。
 このコーナーで3回優勝するとフライデーナイトライブ5分の一本ネタコーナー昇格

また北野の預かり的(所属予備軍)位置に属している『北野ファーム』と言う若手の団体に入ることが出来る特典が付いています。
 
とにかく所属の道にはこのコーナーで結果を残すしかないと思い、気合十分でしたが
この時のチャレンジコーナーでの結果は2位でした。
悔しかったですが、2位なら次は出番が後ろの方になって次回は優勝できる確率がグッと上がると初出場の最低ラインは越えたという事で結果発表終了後すぐにもう気持ちはその日に行われる打ち上げに向かってました。
 
別に酒が早く飲みたいと言うわけではなくて
 
この打ち上げにはこの時出演していた米粒写経、マキタさん、ダイオウイカ夫さん(旧、大神本舗5百年)などの先輩芸人やマネージャー陣も何名か参加するのでマネージャーに
所属をアピールするにも先輩にお近づきになるにも絶好の場だと考えていたからです。
 
最近は吉本のNSCが有名ですが大手お笑い事務所になるとほとんどの事務所にお笑いの学校があります。そういった事務所は学校での生活で事務所へ存在を知って貰いアピールが出来ますがこういった学校が無いオフィス北野ではこのような打ち上げの場でのアピールが非常に重要と考えたのです。
 
しかし、いざ打ち上げが始まると中々先輩の席には行けないでいました。
ボクは元々人見知りの気質があるので少しこの時スイッチを上手く入れられないで人見知りが出てしまったのです・・
いや、確かにそれもありましたがそれ以前に何だか単純に怖くて先輩席に近づけない。
 
物凄い気迫と声量でしゃべり倒している米粒写経の居島さん、問答無用で風貌と表情の怖いマキタさん、サングラスの様な色付きメガネで不敵に笑う背の高いただ者では無い雰囲気のサンキュータツオさんこの三人が揃った席は得体のしれない山賊団のようで恐ろしくてしょうがなかったのです。
 
確か、ご挨拶と「面白かったよ」の様な声を掛けて頂いたくらいでこの日は終わってしまいました。
 
打ち上げの途中、宇野コーヘーと言う作家と隣の席になり話していました。
彼は【フライデーナイトライブ】のオーディションの時から唯一いた作家で
出で立ちは色白の綺麗な顔立ちの優男的な関西人でした。
何だこの若造は何者だ?と気にはなっていましたが、どうやらマキタスポーツさんの座付き作家と言う事・・。
こんな優男風の関西人の作家・・お笑いの何が分かるってんだよ!バカ野郎!
と心を開かず気を張っていたのですが話してみると
 「マッハが一番おもろかったで」「自分らセンスあるのが分かるで」「絶対北野すぐ入れるわ・・」
とホメられまくり打ち上げが終わるころにはボクの心はすっかり観音開きの大全開でした。

しかもボクと年も学年も一緒、話も面白いし笑いの感性も近い、すぐに大の仲良しになりました。(現在もボクらマッハの単独ライブに構成で入ってもらってます。)
 
宇野君はマキタさんの座付き作家として北野の先輩芸人、マネージャーの事を良く知っていたので色々相談しました。この同い年のクールに俯瞰的に意見をくれる作家との出会いが所属に向けてかなり重要な運命的出会いでした。
 
【フライデーナイトライブ】は2カ月に一回の開催ですので、次のネタ見せオーディションはこの一か月ほど後でした。
 
 この時ちょうどボクら『マッハスピード豪速球』は初の単独ライブを一か月後に控えていました北野のオーディションに行く前から単独開催は決まっていたのですが、これはアピールになると言う事でマネージャーさん達に招待チケットを配りました。
 そしてダメ元でその時オーディションにいた先輩芸人全員にも「お時間有りましたら」と
チケットを配りました。
何故先輩芸人はダメ元なのかと言うと、マネージャーさんは戦力になるのか見極めるために半ば仕事として単独ライブを見に来ていただける可能性は高いですが、先輩芸人にとっては一回や二回会っただけの特に愛情も無いどこの馬の骨だかわからない若手芸人の単独です。
せっかくの空き時間を割いてまで見に来て頂ける可能性は極めて低い、そもそも忙しい方達ですスケジュールが空いている可能性が非常に低い。
しかしこの後の2回目参加の【フライデーナイトライブ】で優勝し何とか印象を付けられたお蔭か初の単独ライブには『サンキュータツオさん』『マキタスポーツさん』この2人がいらして下さいました。
 
後で聞くと宇野君がマキタさんに連絡をしてくれたようでその日すっかり
単独の事など忘れ家族サービス中だったマキタさんは娘さん2人と奥様といらして下さいました。ここでマキタさんのご家族に認識していただいたお蔭で後にマキタ家バーベキューに誘われることになります。
  
マキタさんタツオさんの観る中
マッハスピード豪速球初単独ライブは無事に終了しました。
タツオさんには「面白かった!」と一言。
マキタさんからは「“ネタは”良かった!」と言葉を頂いたのを覚えています。
(後ほど構成などに関してアドバイスを頂きました。)
今考えると初単独っていうのがタイミングが良かったのです。
 
初単独ライブ【プロフェッショナル】を開催した時すでにマッハスピード豪速球を結成して2年がたっていたので単独でやるネタはその2年間何度もやってきたものばかり、おのずとクオリティーの良いものが揃ってました。これが何度かやっている単独ライブで新ネタの試しネタなどが混じっている単独だったりしたらガッカリされていたかもしれません。
客入りもそうです。二日間とも立ち見ありの大満員だったのも初単独ライブと言う事で人生の今までの知り合い全部に声を掛け、初と言う事でほとんどの人が見に来てくれただけの事。
 でもマネージャーさんからしたら何なんだ事務所フリーでこの動員力は??となった事も所属を速めた要因かもしれません。
この初単独がドンピシャでこの時期に準備されていた事も運命的でした。
 
そしてその日サンキュータツオさんが単独の感想をTwitterで
《本日はお笑いコンビ『マッハスピード豪速球』の単独ライブを観劇。
オフィス北野「フライデーナイトライブ」のチャレンジコーナー2連覇中のフリーの芸人。
この人たちは、あとはもう売れるだけ。心がけ次第なんだろうか?実力や自分たちの見せ方は申し分ない。アングラ長いと素直じゃなくなるからこそ心配。》
 
とつぶやいて頂いた事から
あの方との出会いに繋がっていきます!
 
このタツオさんのツイートをたまたま見ていたのが『水道橋博士』だったのです。
 
しかもその時博士は放送作家の『倉本美津留』さんに今度ネタライブをするのだが面白いとか気になる芸人いない??と言われていた時で丁度目に飛び込んできたのが『マッハスピード豪速球』なる頭の悪そうな何とも度直球な気になるコンビ名・・しかもあのネタ分析に定評のある『サンキュータツオ』の言う事だ面白いは面白いのだろう・・と言う事で博士はまだあった事も無いボクらをそのライブにチョイスしてくださったのです。
 
最初マネージャーさんから浅草キッドの水道橋博士さんがライブにマッハスピード豪速球を出演させたいと言っている。と言う内容を聞かされた時は“え?”“ん?”と理解不能状態でした。
 
ただでさえ混乱状態だったのにさらにボクらを混乱させたのがこのお笑いライブの謎の多さでした。
どんなお笑いライブなんですか?と詳しい事を聞こうとしても
「いやー良く分からないんだけど、『東京アメリカンクラブ』っていうロシア大使館前にある超高級会員制クラブでやるライブらしいんだけど・・」と言うよく分からない答えが返ってくるのです。
 
タツオさんも出演するので
タツオさんに聞いても
「いやー良く分からないんだけど、『東京アメリカンクラブ』っていうロシア大使館前にある・・・・・」
同じ答えしか返ってきません。
 
“アメリカン倶楽部”?“高級会員制”?“ロシア大使館”?
 
何一つお笑いライブに適した単語が出てこないのです。
 
しかし、実際にこのライブは東京アメリカンクラブのbarラウンジみたいなところで開催されました!
 
通路はワインの壁ですし、楽屋なんて全面ガラス張りのメチャカッコいい造り
お笑いライブには全く似つかわしく無い所です。
後に聞くと『倉本美津留』さんがお笑いからかけ離れたこんなオシャレな場所でお笑いライブやるっておもろいやん。
というアイデアをもとに始まった企画だったらしく、このライブは倉本美津留さん、水道橋博士、土屋敏男さん(電波少年のTプロデューサー)
それぞれが自分の一押し芸人を4組ずつ紹介し実際にネタを見てみようと言う内容の
ライブで、『パンサー』や『ジャングルポケット』『ジューシーズ』『鬼ヶ島』『ロッチ』なども居ました。

この錚々たるメンバーの中、何故かペーペーのボクらはメチャクチャウケたのです。
 
このライブにはもちろんオフィス北野のマネージャーさん達も数人観に来ていたので、あのメンツの中でのボクらの活躍は相当アピールになったのです!
 
そしてこの後、2012年の11月の【フライデーナイトライブ】公開審査会でボクらの所属が決まりました。
 
何だか文字に起こしてみると改めて、とんとん拍子の数カ月だったなーと思います。
 
 
後に博士の運転手になってから博士からアメリカン倶楽部のライブ終了後、
博士自らが「『マッハスピード豪速球』事務所に採りなさい」と助言して下さってたという話を聞きました。
色んな要素があり今ボク達はオフィス北野にいます。
                終わり。