トランプ関税ショックで一時急落した米債券相場。誰が米国債を売ったのか。中国の売りや当局が懸念する投機の解消といった「内憂外患」が現実になったわけではないとの声は多い。疑いがかかるのは、伏兵ともいえそうな取引だ。だが高関税政策が続く限り、安心はできない。
先週(7〜11日)は米長期金利が大きく上昇(債券価格は下落)した。2日にトランプ米大統領が相互関税を打ち出すと株価が急落し、金利は当初、定石どおり低下に向かった。ところがそのあと金利は急反転する。

焦った政権は9日、中国以外への上乗せ関税を90日猶予した。金利は低下したが、市場の不安心理を映す指標は関税ショック前に戻っていない。
米国債売りの「犯人」は誰か。駆け巡った噂が中国の売りだ。実際、第1次トランプ政権下での貿易戦争では米国債保有を2018年からの2年間で1割近く減らした。
「ソブリン(国)の証拠はない」。ベッセント財務長官は暗に否定する。「10年債と30年債の入札では外国人の参加が増えたのを確認した」。フライングぎみに未発表データまでにおわせた。

米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長も「債券市場が急変動したときに人々が固執したナラティブ(物語)が2カ月たって全くの誤りだったとわかることがある」と言及した。真意は不明だが、国別の米国債保有が判明するまでにかかるのが2カ月だ。
海外当局がニューヨーク連銀に預ける米国債残高は16日時点で3兆ドル弱と2週連続で微増し、安定した推移が続く。
では真犯人は誰か。市場ではヘッジファンドの「ベーシス取引」が疑われた。レバレッジ(借金による規模の拡大)をかけて債券先物売りと現物債買いを膨らませ、先物と現物のわずかな価格差からサヤを抜く。
残高は1兆ドル規模との試算もあり、持ち高解消は市場の動揺に直結する。新型コロナウイルス禍の初期だった20年には市場の混乱を演出した。1日にはニューヨーク連銀が論文で米債券市場のもろさにつながると警鐘を鳴らしたばかりだ。
だが、みずほ証券の上家秀裕シニア債券ストラテジストは「様々な指標や計量分析から判断するとベーシス取引の解消が今回の金利上昇の主因とは考えにくい」と話す。
着目するのは、固定金利と変動金利を交換する金利スワップ市場での異変だ。超長期30年のスワップ金利から国債利回りを引いた「スワップスプレッド」と呼ぶ指標が、株急落にやや遅れてマイナス幅を急激に広げた。

こんな背景がありうる。たとえば、米変額年金。株高局面で最低保障額が高まる例も多く、株安に転じると損失回避を強く迫られる。ヘッジ手段として有効な金利スワップで、大規模な買い(固定金利の受け取り)に動くことがあるという。
いきおい国債よりもスワップのほうに金利の押し下げ圧力が強くかかる。困るのが、反対の動きを見込んでいた一部のヘッジファンド勢だ。

本来、国債利回りとスワップ金利は同じような水準でもよいはずだが、現実にはスプレッドはマイナスが定着したまま。現物債が割安(高い金利)に放置されている。
債券という「モノ」特有の弱点、たとえば財政悪化による国債の増発懸念や、金融規制が厳しくなって銀行や仲介業者が国債を抱えにくくなっている要因が浮かぶ。
ここで規制緩和に前向きなトランプ氏が政権に返り咲く。補完的レバレッジ比率(SLR)と呼ぶ資本規制を緩め、国債をたくさん持っても指標が悪化しないようにする案が取り沙汰された。
国債の割安感が和らぎ、スプレッドのマイナス幅が縮小するはず。こう踏んだファンド勢はスワップ売り(固定金利の払い)と現物債買いを組み合わせるアセットスワップ取引を組んだ。年初以降のスプレッドのマイナス幅縮小は、こうした取引の存在を示唆する。
だが株安がもたらしたのは正反対のマイナス幅の急拡大。賭けに敗れたファンド勢は損失を抱え取引解消に伴う国債売却を余儀なくされた。
米財務省幹部がSLRの緩和に言及し、国債の需給改善に期待をつなぐ向きもいる。取引の解消は落ち着きつつある。

だが内憂外患は債券市場を覆ったまま。「根っこにある問題は何も解決していない」と野村証券の松沢中チーフ・ストラテジストは言う。
中国経済が急激に下振れし、資本流出を招けば、大量の米国債売りを迫られかねない。市場に動揺が再び走れば、今度こそ積み上がったベーシス取引という「爆弾」が破裂してもおかしくない。

相互関税上乗せの90日猶予を引き出した米国債売り。米財務省が規制緩和に動いたとしても、狙いは市場安定そのものよりも関税をテコにした各国とのディールの継続にある。債券市場の次の反乱には警戒が怠れない。
(編集委員 大塚節雄)