デビュー当時にパーソナリティーをさせて頂いてたMBSラジオ『ヤンタンあそびのWA!』。
相方の岡田がオリックスファンなので『波乗りオリックス』というコーナーを作ったりして、番組でオリックスブルーウェーブ(当時)を応援していた。
そのコーナーで、岡田が「鈴木がいい!鈴木がいい!」と熱く語り、その選手が1994年シーズン開幕前に登録名を『イチロー』に変えた時にはイチロー選手をもっと知ってもらおうと『イチローのコーナー』も作った。
初対面の岡田が着てたBOSSジャンに興味津々だった若きイチロー選手は、その年にプロ野球最多安打記録を樹立。一躍時の人となり、色んなテレビ番組をハシゴしていた中、ラジオでは唯一僕らの番組に出演し、言ってくれた嬉しい一言…
「鈴木の頃から応援してくれてますから」
阪神淡路大震災が起こった1995年、『がんばろうKOBE』でオリックスが優勝争いをする。マジック1となり、これに勝てば優勝となる大事な試合で、ますだおかだで始球式をさせて頂いた。試合は逆転負けで優勝はお預けとなってしまったけど、その3日後に見事優勝。
翌1996年には、オリックスが遂に日本一になり、ラジオのリスナー達と淀川の河川敷で勝手にやったビールかけ。
「ビールじゃなくてもいいから岡田に何でもかけてやってくれ!」
ラジオでの僕のムチャぶりに、リスナーから牛乳・玉子・醤油など色んなモンをかけられてぐちゃぐちゃになって喜んだ岡田。
ラジオでプレゼントした、岡田がイチロー選手から貰った折れたバット。当選したリスナーは大事にしてくれてるだろうか??
「みんな活躍すると背番号を軽い数字にしたりするけど、イチロー選手は『51』のままがエエなぁ」
あの時のラジオで僕が言った時「背番号は変えるつもりはないです」と言い切ったイチロー選手。
そんな事を思い出しながら、寂しくなりながら見させて頂いた。シアトルマリナーズの背番号『51』の最後の姿を…。