わび茶の心
「南方録」の中で わびさびの茶の心について、武野紹鴎は 新古今集の藤原定家の歌を引いて 

 見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ
 花や紅葉=書院台子を眺めつくしたところに
 浦の苫屋=無一物のさびの境界がひらかれる・・・・・・・としました。利休居士は さらに加えて、藤原家隆の歌を引いて 次のように説かれたそうです。

 
花をのみ待つらん人に山さとの 雪間の草の春をみせばや

人は花がいつ咲くかと待つばかりだが (花や紅葉は自分の心の中にある)、雪に埋もれた山里(苫屋のさびの風情)の雪の間にのぞく春の芽吹き    こそ、作為のない真の感興である。 

と。利休は書院台子の茶もわび茶も心の有り様としてとらえ 更に無一物をも超えた自然の雅趣を求めて奥深い道をたどられた。

  ~以上 裏千家淡交会 会員のしおりより~

初釜が終わってから  お茶の師匠も ご希望に応じて台子の稽古を進めましょうと やっとお許しが出た。金曜日のメンバー4人なので とりあえず二人ずつとなったが、2年前のノートを開いて 四苦八苦。膝も痛くなってきているので この長丁場の稽古は大変だ。稽古の時は メモを取ってはいけないので 家に帰って 覚えていることを必死で書き記す。ところが 40分?以上はかかる点前なので やる人によって ミスがあったり 抜けて間違えたりする点前を 後で記したノートから、あれ?あれ?この順は?と・・・・・


兎に角 今までの稽古の総集編一歩、二歩、三歩手前のお点前が 平常心でできたらと思う。今回は4人なので4回ノートをチェックするチャンスがある。格別美味しい茶が頂けると思うと お客役になれる時は嬉しい。