2010年2月に 「大連 旅順 北京の旅」で 中国に行って来た。


 先日「坂の上の雲」を見ていたら 丁度 二百三高地での戦いが出て 現地を訪れた時の悲しい思いがよみがえった。特に 二百三高地や旅順を希望して 旅したのではないが 行ってみて 中国旅行の旅の入り口が ここでよかったと 後になって思った。

 

 激戦地であったことを 生半可な気持ちで 学んだだけだったので 右下の中国当局が立てた看板や 寒々とした傷跡を見たとき 手向けの花や御香を持って来なかったことが悔やまれた。  
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こちら側から見ると そこに 堡塁(ほうるい)があることが分かるが 山の下から登ってくる日本兵には 全く分からない。したがって 崖の上から 日本兵が飛び降りると ロシア兵が穴の中から 射撃した。だから 穴の横に出来ている弾丸の後は 日本兵のものが殆どといえるかもしれない。一見 穴に見えるが 中は 通路になっていて 比較的広い。


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これが 中から見たところ

必死の覚悟で 登ってきても 飛び降りたとたん 射撃されたのだから 大変だっただろうと身震いした。

中国に来て ロシアと日本が戦った後を見るのだから 中国としても この地に対して格別な思いがある。 
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旅順の軍港は 遥か向こう この日は晴れていたので 見渡すことが出来たが あいにく 写真がない。

遥か彼方で よくも 大砲が利いたものだと 思った。記念碑の脇に 桃の木が植わっていたので 春の景色を そっと浮かばせてみたが 日本人として こういうところに来るときの マナーがあるだろうと 自分自身に ちょっと悲しくなった。


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寒々とした思いで山を下ってくると 入り口の事務室で お昼と取っている中国人に出会った。ストーブの上で豆を煮て 弁当を食べていたが 上の看板に書かれている内容とは裏腹に 和やかに写真を撮らせてくれた。


午後四時の大連空港薄暗く大きな国の電力事情

社会主義国家の恩恵スチーム暖房心安らぐ「暖気」の室温

黒々と汚れし車走りゆく大連の街の朝のラシュに

旅順の軍港臨む二百三高地兵士の幻次々浮かぶ

帝国主義列強の犯罪と記す看板慰霊碑の脇

満州の引き上げの歌「逃避行」今亡き君を偲びて旅す