昨日娘さんと
映画に行ってきた
上映前にいくつかの
予告があって
違和感がめちゃ出たのが
お葬式を題材にした映画
予告だからかもしれないけど
まるで人間は死なないのに
特例で死んでしまったかのようになげき悲しむのよね
わたしとは死生観が
あまりにも違いすぎた
でも
あ。。。。こうやって
映画を使って
死を必要以上に美化し
恐怖や不安のボスみたいに
仕立て上げて
わたし達の頭に死を
ことさら特別な物として
すり込むんだなぁと思った。
死は肉体を持っているかぎり
限界があり当然訪れる
ほぼみんな死ぬから
確かに全人類対象の
ビジネスになるから
死を恐怖のタネにして
お金もうけをするのは
ずる賢い人達にとっては
超おいしいのだろう?
その映画の予告では
「お葬式は残された人のためにするものだ。」と
言ってたけど
わたしが最近聞いた話だと
死んだ人は
死んだとわかっていないから
お葬式をして死んだことに
気づいてもらって
あちらの世界へ旅立って
いただくのだそうだ。
だから棺に入れるときに
生前気に入っていた服は
着せてはいけないらしい
まだ生きていると
かんちがいしちゃうから
やはり白装束を着せ
頭には三角をつけるのが
よいようだ
どちらにしろ
死はほぼ必ずやってくる
死を怖がりすぎていたら
こころもカラダもちぢこまり
あるがままにおもうままに
生きられないじゃないか?
まんじゅうこわい😱
じゃないけれど
わたし達はメディアやネット
ありとあらゆる恐怖産業に
いつもさらされている
いっけんまじめに
死をあつかっているように
見えるものでさえ
わたし達を恐怖でしばり
動けなくさせるための
道具とされている
こわいとか
心配とか
かわいそうだとか
そういうことを
しきりにアピってくる
人や番組には
気をつけたほうがいい
わたし達はいつのまにか
エネルギーを吸い取られているかもしれないから
とりあえず
当たり前だけど
人はいつかほぼ全員死ぬし
年齢が高くなればなるほど
死ぬ確率も高くなる
それだけは今一度
わかっておく必要があり
死は肉体を脱ぐことで
わたし達の本体である魂は
死を境に別の世界へと旅立つ
わたし達の旅は肉体を脱いでも
終わらない。。。
というのが今のわたしの
思っていること。
それが本当かどうかは
死んでみないとわからない
