帰ってからのこと。
ルシアに帰って来たら、きっとホッとするよ、と旅行前に言われていました。
私はルシアを出たくて頭がおかしくなりそうになっていたので。
ふふーんって。
間違って姉と一緒に日本帰っちゃうかもよ?って。
楽しく快適な時間はあっちゅう間に過ぎ去り、ルシアに帰ってきました。
飛行機を降りると、もわ~っとねっとり湿気た空気がまとわりついてきて、ああ帰ってきたのだと実感する。
その時は、ああああこの暑さ…、また苦しめられるのか…としか思いませんでした。
速攻ブーツとコートを脱ぎ捨て、無事に帰ってきましたと電話連絡をしました。
「おかえり!」
調整員さんの声を聞いたその時、でした。
ホッとしました。
今でも、私何でここにいるんだろう?って感覚に襲われることがあります。
でも、しばらく、もうしばらく、ここが私の帰る場所なのです。
まだ、やらなきゃいけないことが、在るのです。
※写真は空中公園ハイライン。
ヌ~ヨォ~ク!!
一週間ほどNYに行ってきました。
日本から遥々飛んできた姉と合流し、観光しました。
Aリシア・キーズの歌が未だ頭の中を占拠しています。
忘れないうちに、メモを…。
NY寒い。
久しぶりに感じる寒さ…。
1年3ヶ月分の鬱憤を晴らすかのように散財する。
ルシアでは必要のない秋冬物を買い漁る。
UGG安い。
SABONも安い。
つまり汗をかかない生活、ルシアでは必携の手拭い要らず。
しかし乾燥もヒドイ。
さっそくスネがカサカサに。
足の裏が汚れないNY…。
ルシアでは何故か一日の終わりには足の裏が真っ黒になる。
何処もかゆくない。
蚊に刺されないって、快適。
毎日、朝まで熟睡できる。
適温に保たれた室内、寝心地抜群の寝具たち。
バスタブ最高。
たくさんの日本人を見て、一人興奮する。
日本人のみならず、沢山のアジアン、ニューヨーカーと肩を並べる姿は頼もしい。
もちろん、「チンチョン」なんて揶揄されない。
その代わり、見知らぬ人にビューティフル~なんて称賛受けることもない。
通りすがりの人に、いちいち挨拶しないのね。
ニューヨーカーがスタバを片手に通勤する姿を見て嬉しくなる。
昔、ドラマで見た風景と同じ。
スタバ好きよ。
ニューヨーカーって洗練されている。
お洒落すぎる。
汚いスニーカーでNYに臨んだ自分を抱きしめたくなるほどに。
地下鉄、すごい。
しかし、やや分かり難い、よね?
姉妹とも方向音痴のため、何度も方向を見失う。
ニューヨーカーはルシアンの2倍速で歩く。
速い。
ルシアでは私は誰よりも速く歩いているのに。
高い高いビル群、上ばかり見上げていると首が痛くなるって本当。
街でねずみを見かけたのはたったの1回。
ルシアでは毎日のようにお見かけします。
ミッドタウンにあるホテルに泊まったのですが、夜は静かでした。
ルシアの夜は、虫と蛙の大合唱、鶏と野犬の叫び声・・・週末ともなると、大音量で陽気な音楽が聞こえてきますから。
日系ヘアサロンに行き、日本人スタイリストさんに髪を切ってもらう。
「マッサージさせて頂いてもよろしいでしょうか。」
丁寧過ぎる日本的サービスに、恐縮する。
出来栄えは、まあまあ、Sさんには敵わない。
ルシアンに切ってもらうよりは、ずっと良い。
日本食万歳。
焼き鳥、焼酎、枝豆、寿司、吉牛、納豆…カップラーメン!
日本食に付き合ってくれた姉に感謝。
スンドゥブも餃子も、美味しかったね。
SHAKE SHACKのハンバーガー、絶品です。
ハンバーガーと侮るなかれ。
ニューヨーク市立図書館、改装中・・・無念。
自由の女神、エンパイアステートビル、ブロードウェイミュージカル、トップオブザロック、メトロポリタン美術館、アメリカ自然史博物館、MoMA・・・王道はきっちり押さえる。
しかし、アートは今一つ解せず。
教科書に載っていた絵が沢山ありましたが。
私がもっとも深く感銘したのは、空中公園ハイライン 。
高架鉄道跡を公園にしようって発想が素敵過ぎる。
そして現実に公園にしてしまう行動に惚れ惚れする。
ありのままの自然は、そりゃあ素晴らしい。
けれども私は、人為的な自然って好き。
公園で働いていたくらいですから。
それを作り上げた人々、丁寧に手入れしている人々のパッションが伝わってくる所為か。
でも、お金をかけ過ぎよね、きっと。
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つまりは、全てにおいて、私はルシア基準で見ていたわけです。
その、新しく上書きされた“感じる基準”は自分でも驚くばかりで、愉快で、感じるままに楽しみました。
喜びや悲しみは、非常に個人的なもの…
同じ出来事(物事)に対しても、人それぞれ感じ方が異なるものです。
人それぞれ異なることは、周知の通りですが。
しかし今回、日本→ルシア→NYと移動し、同じ出来事(物事)に対して、同じ人間(=私)でも、これほどまでに感じ方に変化があるものなのだと体感することができました。
カップラーメンであれほどまでに幸せになれるとは…。
カップラーメンって日本で食べたら、少し切なくなる食べものですよね。
環境が変われば、大なり小なり価値基準が変わります。
言い換えれば、環境を変えることで、価値基準はある程度自由に設定可能なのではないでしょうか。
つまりは、“幸せ”はコントロール可能なものなのではないでしょうか、とでも言っておこうかしら。
うきうきです。
ご無沙汰しておりました。
元気です。
今、プエルトリコの空港に居ます。
乗り継ぎのためです。
ついに念願のルシア脱出を遂行しました。
大袈裟ではなく、涙が出そうです。
何故って、いろいろ事情があって?あのちっちゃな島の中で私は1年3ヶ月も過ごしたのです。
上手く言えませんけど、ルシアには無い全てに、嬉しかったり、感動したり…するのです。
免税店の化粧品売り場に行ったら、その匂いが懐かしくて…泣ける。
何なのでしょうか、この感覚、面白いです。
興奮しっぱなしです。
美味しいものをたくさん食べようと思います。

