ハリケーンTOMASの仕業。
急いで、書き置く。
金曜の夜から、雨が降り始める。
翌10月30日(土)…
朝から引き続き雨…だんだんと激しさを増す。
出掛ける予定だったが、家で一人おとなしく過ごす。
そこへ緊急連絡網「3時間後にハリケーンが来ます。外出は控えるように。」といった内容だったかしら。
この国の人達は、ハリケーンなんてすぐにどこか行くわよ、と言う。
ここ最近、30年以上?は大きな被害を受けていないようで、とても楽観的でした。
だから、私も、楽観的でした。
この時、土曜の午後までは。
だから、余裕で昼寝、いつもより涼しく、快適でした。
起きたら、電気がつかない。
夕方から、停電になった。
じゃあ、ロウソクで。
停電も何度か経験しているから、別にどうってことない。
でもそれは、「そのうちに戻るだろう。」という希望的観測がそこに在るから。
止まない雨は無いんでしょう?
夜になっても、激しい雨風、いつ暴風域から外れるのか。
何だか、いつもと様子が違う。
とても静かで気味が悪い。
虫も、カエルも、鶏も、犬も鳴いていない。
ただ、雨と風のおと。
ロウソクの灯りのもと、大切な人が送ってきてくれた、大切な本を読む。
暗殺者が出てくる話?
なかなか集中できない。
この雨は、もしかすると、まずいのではないか?
おそるおそる玄関を開けて、家の前の様子を確認する。
オーマイゴッド!って、こういう時に使うんだ。
家の前の川が氾濫して、玄関前の2段ある階段の1段目のところまで水が迫っていた。
あと、階段一段分は浸水するまでに時間がある。
2階に住む大家に電話をして、家の中まで浸水してきたら、2階に非難させてね!とお願いする。
暗闇の中、避難用荷物のパッキング開始-。
確か、夜の10時頃。
PC、外付けHD、デジカメ、以上?
私にとっては価値のあるデータ達、且つ私の持っている中では高価なモノ達。
その次に持って逃げるべきものは何だ?
そうしている間にも雨は激しく降り続き、水嵩は増している。
あと15センチ?
頭が混乱する。
次に何が必要か、決められない。
その他・・・。
在れば望ましい、という程度のモノがこれほど自分の周りに溢れているとは知らなかった。
もう何でも良い。
適当に着替えなどを詰め込んでパッキング終了。
床に置いてあった靴などは、クローゼットの上に放り投げる。
これでいつでも2階に逃げられる。
何度も玄関を開け、真っ暗闇の中、懐中電灯を照らして家の前の水位を確認する。
お隣の奥様も同じことをしている。
大丈夫?と声をかけてくれる。
大丈夫、と答える。
この国に来てから、何度ルシアンに「大丈夫?」って気遣って声をかけてもらっただろうかと考える。
とてもたくさんである。
水嵩は一進一退。
落ち着かず、5分おきに玄関を開ける。
あと10cm…、あと8cm…、あと3cm…、あと5cm…。
雨の激しさにより、上下する。
それに伴い、私の心拍数も上がったり、下がったり。
別に家に水が入ってきたからって、死ぬわけではない。
ただ、面倒なだけだ。
しかし我が家の前でこの状態なのだから、とっくに水没している家もあるだろうと思い及ぶ。
とにかく情報が何も手に入らない。
ラジオ局も停電しているようだ。
いつ暴風域から脱することができるのか?
ああ眠い!
けれども眠るわけにいかないので、本を読み進める。
次第に、雨の勢いと水位の関係が雨音のみで推測できるようになる。
あと3cmのところまで迫った時には、腹をくくったよ。
明日は大掃除だって、覚悟をした。
すでにキッチンとバスルーム(少し低かったらしい)は浸水していた。
AM3時半頃、雨足が弱まってきた。
だんだんと水嵩も減って行く。
ああ良かった。助かった…。
もう大丈夫だろうと思い、AM5時頃に眠りについた。
10月30日(日)
ぐったり疲れていたけれども、朝起きて、調整員さんに「少し浸水しましたが無事です。」と連絡して、二度寝する。
電気は午後2時頃に復旧した。
意を決して、水シャワーを浴びて、寒くて震えた後だった。
やれやれ、と思う。
電気会社は素晴らしく迅速な対応で、マスコミからも称賛を受けていた。
同時にラジオ局も一局だけ放送を始めた。
(テレビ局は全然ダメでした。)
そこから聞こえてくる情報は、スフレやビューフォートなど南の方の被害が大きく、道路は寸断され、通信(電話、インターネット)も途絶えているというものでした。
詳しい情報が入ってこない。
気が重かったけれども、浸水したキッチンとバスルームの掃除をした。
とても汚い水が入ってきているので、家中がぷ~んとドブ臭くなった。
しばらくすると、慣れたのか、気にならなくなった。
疲れていたのか、夜8時頃に寝た。
11月1日(月)
首相が「休日」と宣言したので、活動もない。
朝、蛇口をひねれど、水が出ない。
心の用意をしていたけれども、がっかりする。
スカイプしたり、ネットしたり、本読んだりして、だらだらと過ごす。
完全に思考が麻痺していた。
その後、スフレやビューフォートに住むボランティアの無事は確認された。
次第に被害状況が分かってきた。
【セントルシア被害状況】
11月7日付、CDEMA:カリブ災害緊急管理機関発表
・死者数 8名
・避難者数 508名
・全人口(18.1万人)に水供給の障害(28の水供給施設のうち1箇所のみ稼動)
・その他、政府発表(11月3日付)の物的被害:
―農作物損失(特にバナナ農園の75%に被害):103百万東カリブドル相当
―畜産業損失:16百万東カリブドル相当
―農業インフラ(道路、灌漑等)損失:13.8百万東カリブドル相当
―漁業損失:1.5百万東カリブドル相当
一週間~十日程度で、道路や通信は復旧した。
私達が苦しめられたのは、上記にもある“水供給の障害”である。
原因はダムが壊れた?ことによる。
11月1日~12日までの12日間の断水だった。
これは今までの最高記録です!
小さなバケツ2杯の水で全身を洗うことができます!てなことを今では言えるけれども。
大家ネルソン氏や近所に住むルシアン、ジャパニーズらに水を分けてもらいながら、何とか凌いだ。
凌いだのか?
何もする気になれず、何もしていなかっただけではないのか。
でも、日本に帰ることは踏みとどまったよ。
それは、親切な人達に助けられたから。
感謝の気持ちでいっぱいです。
この度、思い知らされたことは、自然の脅威、ではなく、この国の脆弱性でした。
あれくらいの雨でダムが壊れるって日本じゃ考えられない。
Tomasはカテゴリー1で、ハリケーンとしては最も弱かったのです。
テレビもラジオも使えず、情報は恐ろしく遅かった。
インターネットや携帯電話に頼り過ぎていて、アンテナが壊れてしまって通信手段が途絶えたら、他に為す術なかったのでしょう。
とても、危なっかしい国であることが露呈されてしまった。
同時に、がんばっているルシアン達を目に留めることができた。
あちこちで倒れた電柱を起こして修理していたルシアン…。
土砂が流れ込み、泥だらけになったタウンを清掃していたルシアン…。
吹き飛んだ屋根を修理していたルシアン…。
夜を徹して作業していたルシアンを心から尊敬します。
あ、長いね、長過ぎるね。
メモとして書いておきたいことは沢山あって書き出すと止まらないのですが、この辺でやめておこうか。
こういう訳で、メールの返事が遅れている方、ごめんなさい。
じきに返事を送ります。

