昨年、2023年7月25日の夜、
大学病院のHCUに入院した私は
首から3本、
両腕から1本、
右の足の甲から1本の点滴の管
鼻には酸素用のチューブ、
胸には心電図のパッド、
腕に血圧計、
指先に パルスオキシメーター
導尿の管&オムツも付けられて
絶対安静になりました
食事はもちろんお水も禁止、、、
レントゲンも体重測定も寝たまま
寝たまま吊り上げられて体重を測られるのって、何だか肉の塊になったみたい
体重は普段より10㎏以上増えました妊婦の時より増えた〰️
それでも何とか数日後、
29日のお昼から少しずつ食事も取れるようになりました
担当医の先生から
「先々、 心臓の専門の病院の方に転院してもらうようになると思う」
って、お話があり、とりあえず何とか退院出来るのかな~なんて
翌日の7月30日の夜、
ご飯も食べてゆったりまったり過ごしていたつもり、、、
ここからは覚えていません、、、
私の心臓が止まりました
以下のことを思い出したのはずっと後の事ですが
フワフワしてトロンとしてとっても気持ちよ~くしていたら、
突然、大きな音がして(「頑張ってー!」とか聞こえた気がする)
胸をグイグイ押されていた、、、
覚えているのは黒縁メガネが何か言いながら
グイグイグイグイ!!!
、、、く、苦しい💦💦💦
「何するの???やめて!」って言ったつもりなんだけど、声なんて出てないか
で、その後、記憶ないです
ここからは退院してから聞いた話と私の感覚です
翌日、
救急車で転院しCCUに入ります
気管挿管されていますので、
ずっとウトウトした感じ、、、
まともな思考が出来るようになるまでの記憶はヘンなせん妄?妄想?みたいなものばかりです
天井は真っ白な、でも違う病院
知らない人ばかりーーー
色々なアラームの音が聞こえる
暗くなると医療機械から色々な光が見える
管が更に増えている 腕、動かせない
口が塞がれている、、、声が出せない
私は動いてはイケナイ
動くと看護師さんが飛んできて
「動いちゃダメ!死んじゃうよ」
って言われる、、、
だけど、どうやっても、私の意思を伝える方法はない、、、
こんなんだったら死なせてほしい
本気でそう思ってた
そして、動けるところを目一杯動かして暴れたりもしたと思う
今日がいつなのかも分からないけど、あるとき(8月4日でした)
「お口の管を外しますよ~」
と、抜管されました
ゲホゲホゲホ
看護師さんに痰の吸引などされながら、
「抜管出来てよかったですねー」
「ハイ」
とかお話ししていたら
急に呼吸が苦しくなって💦💦💦
「く、苦しい、息デキない、、、」
ーーーーー
ここからまた、記憶がない
私は再度、気管挿管されました
覚えているのは
「なんで?なんで?」
「アレルギー?」「喘息??」「扁桃腺???」
ワーワーした声と音
って言う声です、、、
私はまたウトウトせん妄の世界へ
ものすごく怖い思いをして、
多分この時、円形脱毛になったみたいです
それから後の8月9日、
再度
「抜管しま~す」
「内視鏡で視ながらやりますからね」
ゲホゲホゲホ〰️
今回は成功しました🎵
(内心、また失敗するのでは?と思っていた💧💧💧)
ちなみに私の気道はとても細かったらしく、そのため喉が浮腫んでしまったとのことでした💧
これでダメなら気管切開する予定だったとのこと💧💧💧
抜管されたものの混乱してるので、自分の置かれた状況が把握出来ず、
看護師さんには変なことばかり言っていたと思います
ちなみに寝ているようていて「耳👂」は驚くほど聞こえていました
他人の話もナースステーションの私語も 、、、(ただ頭の中で整理できないんです💧)
それから5日後の8月15日
私はようやく一般病棟に移る事になるのですが、
頭のオカシイ人と思われていたのでは?と不安になりました
後で看護師さんに聞いたら「みんなそんなもん」らしいです
私は何とか2週間でCCUを脱出し、一般病棟に移る事になりました
前のHCUとCCUで3週間経っていました ーーー
そして、ようやく手元にスマホがやって来ました
久しぶりのスマホはズッシリ重かったのを覚えています
コロナの影響もあって面会は出来ないけれど、、、
テレビが!!!朝ドラと大河も久しぶり
マツジュン演ずる家康がいきなりお爺さんになっていた~
リハビリで3週間振りにベッドから降りて立ってみました
「立てた!」
導尿も外れ、一人でトイレ🚻に行ける、何という喜びよ~~~
体重は普段より-5㎏
20代のころのの体重じゃん!!!
と喜んだのもつかの間、筋肉が落ちてるだけでした
(じわじわと1年掛けてしっかり戻りました )
歩行器を借りて廊下も歩いてみました
『オムツとか歩行器とか、父を超えてしまった、、、』
ちょっと複雑な気持ちになりましたけど
その後、私はMRI、カテーテル検査を経て
8月24日、胸にICD埋め込み手術を受け、29日に退院する事になりました
あの救命 への入院から5週間経っていました
なんて長い、、、
と私は思っていたのですが、家族に言わせると抜管した8月9日の説明では
「最短であと1ヶ月かかります」
と言われていたそうで、
「なんて早い」
だったそうです
あれから1年。。。
私は自宅で暑い暑い(暑すぎる💦)夏を迎える事が出来、
パリオリンピックを観ています
ずっと後で妹に聞いたのですが、心臓マッサージをしてくれたのは夜勤の「黒縁メガネ」の女医先生だったそう 、、、夢じゃなかったんですね
少しだけお話ししたことのある先生
夜勤明け転院の際の救急車も一緒に行って下さったとか
家で寝ていたら、きっと今ごろ一周忌だったでしょう
先生、看護師さんありがとうございました
次のオリンピックも観られるよう頑張ります