先回記事末部より

 

永遠普遍の夜の神様を包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた前段階エネルギーが、神様の核心である心情を通して神様の知情意を刺激した瞬間、神様は前段階エネルギーから与えられた包容の感覚を、内的愛だと認識し自覚したのです。その愛は他のどんな作用にも増して、心情の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる偉大な感覚を、愛と呼んで神様が目覚め、『愛により生まれた』と実感することになるのです。

 

原理法則に則って必然的に喜びが成就する永遠の状態から、前段階エネルギー(自存エネルギー)に包み込んでくる内的愛を感覚したその瞬間こそ、神様の心情に爆発的な感動を与えたものとなったのです。

 

本来ならあり得ない永遠無限の神様が包み込まれるという喜びは、本形状の性質である絶対服従性の働きが、神様の自己の喜びを求める情の動機を刺激することによって得た「包み込まれる」という、それまではあり得なかった情的感覚でした。当然、神様の本性相の性質としてある授受作用の原則から、包み込んで来た対象を包み返したいという情的実感が湧いてきます。

 

この包容感包括感の情的感覚を得たことから、神様にとって絶対無の存在であった対象に対して、包容し包括したいと願う対象として浮かび上がったのです。

 

この包まれる感覚から被造世界を発想したがゆえに、三次元世界は一つ一つの個性真理体が包み込まれて成り立つ世界となるのです。

 

次回に続きます。

 

  *****

 

創造前の神様は、永遠普遍の神様のみの存在で、何ものをも意識していない状態の段階がありました。

 

「御旨と世界」  人間に対する神の希望より

「我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。」 

 

自己中心的な神様であったけれど、創造に着手された瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れて来たと語られています。「その対象物のために生きるようになった」と語られています。

 

何ゆえに自己中心的な神様が、対象物の為に生きるように変貌を遂げたのでしょうか。

 

自己中心的であった神様の状態では、神様の知情意の思考展開により、意志や感情を示す本性相は、本形状のエネルギーの働きがあって、初めて神様の心に意識や情念として顕現化していました。その段階では、本形状のエネルギーの存在は絶対無でなければならなかったのです。ただ、本形状の作用や機能は厳然として全面展開しながら、その存在が神様自身の意識から完全に消えていなければならなかったのです。

 

つまり、創造前の神様と創造後の神様の違いは、本形状のエネルギーの働きにおいて絶対無であるのか、それとも、本形状独自の絶対有の形を形成するのかの違いにあるのです。その神様の絶対無で作用のみの存在でなければならなかった本形状から、本形状が独自に形を形成し始めたことを、真のお父様は次のように語られたのです。

 

宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1) 神様の二性性相の大展開

 神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。

 

永遠無限の神様を、実際に包み込める存在など有るはずがありません。

 

しかし、その無限大の神様が包み込まれた感覚を体験したのは、本性相に対して絶対服従性をもって相対基準を結び、神様の思考や情念を意識として自覚させていた本形状のエネルギーの作用から、神様の心が刺激を受けたからなのです。

 

絶対有の神様の意識や情念と、絶体無の本形状の作用による授受作用から、喜びは生じており、それは無限に拡大していくものでした。喜びの感動を得れば、もっと大きな喜びを得る為の構想が為され、それは本形状の絶対服従性の作用から、確実に実現されて増大していきます。つねに神様の記憶には、その前の段階の喜びの残存痕跡が残っていますから、次の喜びを得ようとする構想を立てる段階で、喜びの残存痕跡が蘇り続けるのです。すると、次の段階への構想が立った時点で、これから獲得するであろう喜びの大きさが、希望となって神様を包み込んでくるのです。

 

その感覚は、三次元世界を構想した時点で、「包み込まれる」という感覚として自覚したのであって、体験したその段階では、神様でさえ未体験の感覚ですから表現しようも無かったのです。神様は包み込んで来たその存在を包み返そうとします。その時に、神様は自らを包み込んで来た本形状を、包括したいと望みました。

 

しかし、本形状には、そのものの実体がどこにも無かったのです。それまで本形状は、神様の思考や情念として浮かび上がった全ての構想を、意識世界に絶対的完全に顕現させてきました。その本形状を包み返し包括したいと願いましたが、本形状自体はどこにも存在が無いのです。

 

その神様の状態を、真のお父様は表現していました。

 

2010年4月1日 ワシントンシェラトンホテル訓読会

「夜の中にいた神様の歴史が創造以前の歴史であることを分からなければならない。その夜の歴史の中にいた神様の歴史、創造の前の歴史・・・神様も大きくて出たという事実が分からなければならない。暗闇の中輝いた。7色光を合わせれば黒になる。その創造以前世界の神様が分からなければならない。元々の根本が分からなければならない。」

 

赤・青・緑の光の三原色を、真のお父様は虹に象徴して七色と表現しました。地上界では、この光の三原色が万物に反射し輝き返すことによって、地上界に存在する全ての色が現れます。しかし、輝き返す対象となるものが無ければ、そこは真っ暗闇になるのです。つまり、創造前の夜の神様は「無の暗闇の状態」でおられ、夜の神様からは無限大の愛が放たれているのに、その愛の光に輝き答える対象が全く存在しないので「無の暗闇の状態」になっているということを意味しているのです。

 

真のお父様が七色光と表現したのは、神様の愛したくてたまらない心情が、光のように360度に向けて無限に放たれているのに、答えて輝き返す塵さえ一つも無い状態です。その愛のエネルギーは陽性陰性が一体となっているエネルギーであり、陽性陰性の質の変化の授受作用による正分合作用で、どんなものをも形成しうる機能と能力を備えています。しかし、愛の種となって、内的愛の胎内に孕まれたばかりの神様には、自らの対象という存在さえ未知のものなのです。

 

愛したくて矢も盾もたまらない衝動ばかりが、反響することもない無限の虚空に響いてはかき消されて行くのです。その段階の神様の状態こそ、夜の神様においての胎中期間であるのです。

 

内的愛の七色光(陽性陰性による愛の素材)が自分を光らせている時は、自分の心情自体が輝き存在の喜びを実感していました。

 

その愛から生まれ胎内に孕まれた状態で、愛する対象を想定すると、たった一人の悲しみを体感し無の暗闇の状態に落ちていくのです。

 

心情において死んでいるに等しい無の暗闇の境地に落ち、生死の概念が永遠普遍の神様に生じたのです。

 

「神様の誕生と真の愛の起源」に関する今回の記事はここまでにします。次回記事では、「無の暗闇の状態」に落ちて「夜の神様」となった神様が、「昼の神様」を構想するに至る経緯について説明します。

 

私が2003年8月に、山形の霊山・月山の頂上で「神様のかなしみ」に包まれる体験をしましたが、それは自己中心的であった神様が対象の存在に覚醒し、「無の暗闇の状態」に落ちたその「神様のかなしみ」の情的世界だったのです。

 

 

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