2017年6月29.30日
ヤマハホールにて
指揮者、ピアニストの
マルコ・ボエーミ先生のピアノによる、蝶々夫人ハイライト公演がありました。
演出は、NHK大河ドラマをはじめ、
数々の作品をてがけられている
脚本家の池端俊策先生。
私には映像作品を見ているような
気持ちになりました。
蝶々夫人といえば、最期のシーンの
演出が見所です。
クライマックスの蝶々夫人の
アリアは、いよいよ自害するという
瞬間に子供が駆け寄ってきて、
一瞬思いとどまるシーン。
普通は本物の子供が駆け出して
登場しますが、今回の演出では
子役はいません。
母であり、ピンカートンを愛する女で
あり、武家の生まれで誇り高い女性の
蝶々夫人が一点を見つめ、
微動だにせず、歌い上げます。
母が幼い我が子を残して死なねば
ならないという思いを切々と。
武家の娘として、母として。
その先には子供のイメージがあります。
実際にいなくてもいるように感じる
のです。
すごい。こんな手法が!
これまで見た中で秀逸なラストシーン
でした。
ダブルキャストでしたので、
それぞれ微妙な違いもありますが、
初日組の蝶々さんは、今際の際に
ピンカートンが自分の名前を呼ぶ声を
聞き一瞬ためらいます。
この時の心の揺れを、
ボエーミ先生のピアノが奏でます。
蝶々さんはピンカートンを
愛する女性、の顔をわずかに
のぞかせますが、次の瞬間には
武家の誇りに立ち返り刃を自らに
振り下ろします。母としてでも、
ひとりの女性としてでもなく、
武家の誇りのために。
パワフルで気さくなボエーミ先生)
有名なアリア、ある晴れた日に、に
♪彼が「蝶々さん」と呼ぶのよ、
という甘ーい一節がありますが、
実際は悲痛な声で呼ばれるのを
耳にしながら逝くという哀しさ。
作法に則り、刃を自らに向けて暗転。
絶妙なタイミング。
いわゆる死なない演出。
子供の姿と、蝶々さんの最期は
見る側のイマジネーションに。
本を読むのと似ています。
イメージする、演出。
イメージする力があればあるほど、
物語はその人の心に沁みいり、
蝶々さんとともに生きた
気持ちになるように感じる演出でした。
オベラなど舞台作品は
歌手が注目されますが、
振らなくても ピアノの演奏で
統率されるボエーミ先生の世界により
音楽をしっかりと底上げされ、
さながらオーケストラのように
音が拡がりました。
余談ですが、友人の故お祖母様、
明治の武家の生まれで、
男性の切腹にあたる、自害の作法を
心得ていらしたとか…すごい。