6月26日付けの記事に書いた難解な詩の、
真ん中の部分
「あなたの掌で落とされる露のしずく」
drop of dew fallen in the palm of your hand;
あれから、この詩のことばかり考えているのですが、
発見! handだ、ってことは 片手なんだ。
では、もう片方の手はどうしているのだろう。
実は、この曲集(4曲構成になっていて続いて演奏されます)
の1曲目は、両手、にこだわった詩なのです。
二つある手なのに、終曲であるこの曲では
片手になっています。これに意味があるのでしょうか。
イメージは砂時計。砂の一粒一粒は、その人の
経験、想い、来し方、いいことも、悪いことも・・・
1秒のなかの無数の粒。それはぎゅっと固まってる
のではなくて、さらさらしている・・・
いや、露だから甘く弾力があるのだろうか、
そうか、生きているということは弾力があること。
一粒一粒に生命がある。それが、片方の掌から
自然にではなく、いわば必然的に落ちてゆく。
指の間からなのか、指を揃えた状態なのか。
自分の意思で落としているのは、きっと確か。
1秒の終わりの瞬間まで。
もう一方の手は、だれかと繋いでいるのかもしれない?
なぜなら 「あなたの手」と客観的に見ている人の存在が
あるからです。