東工大(東京工業大学)の電気・情報系の同窓会に楽水会というのがあります。
年に二回、春と秋に8ページほどの同窓会誌が送られてきます。
春の会誌には定年で退職される先生方の寄稿と卒業生の就職状況が主に掲載されます。
で、この3月で定年で退職される先生がお二人おられまして、そのうちのお一人である水本哲弥先生の記事が掲載になっています。
水本先生は記事で内藤研(内藤善之先生の研究室)との出会いと思い出を語っておられます。
私は水本先生より先に内藤研に所属しまして、時間を共有したことはありません。しかし、内藤先生が工学部長に就任されたときのお祝いの会等を通じて何度かお会いしている間柄です。
内藤先生は大分県のご出身で白川博士がノーベル賞を受賞したとき学長をされていました。
私が内藤研の一員になったとき、内藤先生はまだ30代という若さでしたが、光陰矢の如しですね。
研究には厳しい内藤先生でしたが、天地真理さんの歌がヒットしてテニスブームになった頃、研究室で軽井沢でテニス合宿をしたり、信州でスキーをしたり思い出は尽きません。
いまではたぶん不可能でしょうが、研究室で”だるま”(サントリーのウィスキー・オールドの愛称)を囲んでみんなでディスカッションしたこともありました。
あるとき、私がコンピュータ関連の本、「IP-VPNのしくみ」を東京の日本実業出版から出したことがあります。当時、先生は大分大学の学長をされていましたので、官舎に本を送りました。すると返事があり、在学中は褒めてもらったことがないのに、日本のIT技術を担っていますねなんて望外の言葉をもらいました。
現在は大学院の修士課程を博士前期課程なんて言ってますけれど、博士課程に進もうと思ったことがあります。博士課程に進学しようとするものは事前に語学の試験がありました。その試験を受けてダメだったのか、受けなかったのか、今となっては記憶があいまいです。ま、語学力がなかったので、修士を終えて民間企業に就職しました。当時でも博士課程を出ると就職口がありませんでしたので、よい選択だったと思います。
東工大では多くの良き先生方や学生仲間、卒業後は(同窓会で)良き先輩たちに恵まれました。
楽水会報の水本さんの記事を見て、内藤先生のことやあれこれを思い出すことができました。
ありがとうございます。
苦手な英語、神戸市外国語大学生になれば上手になれると思ったのですが、苦労しております。
暖かく見守ってください。

































