貫井徳郎のどんでん返しとは少し違うけれど、こちらも意外な真相に読者を誘ってくれるミステリー短編集。愛する娘は再婚した相手の女に殺されたのかと疑惑に駆られる男を描いた「甘いはずなのに」、大学生の男がいつも自分を見下す腐れ縁の友だちに仕返しを企む「灯台にて」、独身キャリアウーマンが親友から結婚したと手紙をもらったが同封された写真は見知らぬ女で親友とは連絡が取れなくなる「結婚報告」ほか。プロットの巧さは言うに及ばず、ユーモアと人情味を漂わせるのが東野流。

 

怪しい人びと 新装版 (光文社文庫 ひ 6-16)

 

 

文壇から疎外されながらも衆に与するを潔しとせず、優雅な独居生活を楽しむ荷風が、宇都宮から東京の下町に流れてきた孤独な赤線の女と知り合い、心を通わせ合う淡い物語。どこまで事実で、どこから創作なのか、よくわからないが荷風の自由で柔軟な生き方には憧れる。

 

墨東綺譚

 

 

ぶっそうなタイトルの本が図書館の書架にあったので引っ張り出してみると、「表題作他7篇を収録した、どんでん返しの鮮やかな短編集」と記されている。この作家のミステリーは何冊も読んだことがあるが、読者を騙す手際の良さを自虐的に楽しめる作品が多い。本書も期待に違わず楽しめた。最後の1編「レッツゴー」は殺人とは無縁だが、ほのぼのとした筆致にのっぴきならない危うい恋路を描いたユーモア小説となっている。

 

女が死んでいる (角川文庫)

 

 

1973年に刊行され2020年に復刻された歴史書だが名著だと思った。ギリシャとローマを併せて地中海世界の歴史を俯瞰している。共同体の維持と変容に視座をおいて、ギリシャのポリスの崩壊とローマ帝国の発展の分岐点を解説している。また、古典古代世界の主要な生産関係が奴隷制だったというマルクスの思い込みが事実とは言えなかったことを指摘する。さらにローマでキリスト教が当初は禁止・弾圧され、後に帝国の国教とされた背景の論理についても解説している。高校生には難しいかも知れないが世界史の参考図書としても有益である。

 

地中海世界 ギリシア・ローマの歴史 (講談社学術文庫)

 

 

ちょっと諸星大二郎のようなテイストも感じられる幻想的な作品集。いずれも"本"がテーマになっているのだが、その切り口、ストーリーは様々。とは言え、この作家らしさと言って良い一貫性が着想に感じられる。

 

本の懐胎 黒谷知也作品集

 

 

われながら直観には時々不思議な思いをすることがある。特に人についての第一印象で、直接会えない人でも、写真を見ただけの印象が後で当たっていたということがある。これをスピリチュアルの立場から解説する人が多そうだが、本書では経験と知識が直観の素だと言い切っている。直感力を育てるには、経験知を蓄積することに加えて自分の直観を信じることが大切だという。直観をノートに書いて可視化し、その振り返り(実証)も記しておくとよい。ただし、直観はバイアスによって歪んでしまう。バイアスの種類を挙げて解説しているので要注意。

 

直観力

 

 

特集は「四国遍路」で五編の論考を掲載。弘法大師以前から四国では僧侶が海岸部を巡り歩く修行を行っていたそうだ。それが下地にあって江戸時代初期に八十八カ所の札所を巡る巡礼の形ができたという。日本の歴史は積み重ねなのだ。また、「織田信長との対比で考察する三好長慶の政治的先進性」(三日木人)の長文の論考は意欲的で内容も面白かった。信長は天才だと思うけれど、手本やヒントになった先達を無視して歴史上の偉人を称賛するのは歴史に学ぶのとはちょっと違うだろうと常々思っている。

 

歴史研究 第715号

 

 

なんだ自己啓発系の本か、と思ったけれどストーリーの展開が気になって最後まで読んでしまった。結末は如何にも予定調和的なのだがプロットの組み立てが巧い。ホロスコープ(西洋占星術)がモチーフとなっているが運命論や怪しげな話ではなくて自分自身と時宜を知るためのツールのアイコンである。人との縁を大切にすること、自分に正直に焦らず弛まず努力を続けてタイミングを見計らって踏み出すことを勧めている。と、まとめると如何にも自己啓発本だが、ストーリーはカタルシスになるし、猫好きの人にもお勧め。

 

満月珈琲店の星詠み (文春文庫 も 29-21)

 

 

小難しい文芸評論。著者によるとベストセラーの恋愛小説とみなされた「センセイの鞄」はその実、異性愛主義をかろやかにのりこえた先に現出されたセンセイと月子による新しい関係を描出した作品なのだそうだ。特に著者の見解に異を唱えるつもりはない。だが、それが正しいとすると、ことほど左様に作家の意図と読者の解釈のギャップが大きいことは、もはやギャグのようにも感じられる。

 

川上弘美を読む (水声文庫)

 

 

「溺レる」の次に読んだせいかもしれないが、自立した大人の男女の間の静かで純粋なラブストーリーだと思った。ふたりとも欠落したものはない。だからお互いに依存するところはないのだが、たしかに愛し合っている。センセイは妻に先立たれ、月子は未婚だが、それは自由である設定の裏返しに過ぎない。センセイが月子よりも30歳あまり年長であることは、ラブストーリーには終わりが必要だからでもあり、アラフォーの月子が自由を失わずに愛するには成熟した精神の男が必要だからでもあるだろう。小泉今日子と柄本明によるドラマがあったなぁ。

 

センセイの鞄 (新潮文庫)

 

 

銀座や六本木の風景も撮っているが概して下町や都下の風景が多い。そのせいなのか2009年に出版されたのに、モノクロの写真が昭和の風景をファインダーにおさめたかのように懐かしく感じられる。写真に添えられた文章は、ふざけた口調と内容でどこまで本当のことなのかわからないが、写真にまつわるエピソードとなっていて、読む者を写真の世界観に引きずり込む。

 

荒木経惟トーキョー・アルキ (とんぼの本)

 

 

八組の男女が織りなす性愛の物語だが、恋愛小説とは少し違う。相手を愛するというよりは、相手に寄り掛かって「依存」する関係に見える。「溺れる」は八編の内の一つの作品の標題だが、本書の標題としても相応しい。巻末で種村季弘氏が解説しているように、いずれの男と女も何かから逃げている。しかも、一人で逃げられなくて道連れに溺れるのだ。二人の関係が終わる話もあるし、共依存のまま惰性が続く話もある。著者は本書を世に出した翌年くらいに「センセイの鞄」を書いている。

 

溺レる (文春文庫 か 21-2)

 

 

テレビ東京の同名のドラマが面白かったので、その元ネタの本を図書館から借りてきた。ドラマでは会社で総務の仕事をしている地味な女性が週末に日常の絶景を撮影しに出かけるお話だった。自分も本書を読めば日常の絶景を発見できるようになるかなぁ、と期待したのだった(笑)。そう簡単には行かないが、街を歩く時は絶景がどこかにないか気をつけたい。著者のインスタグラムがなかなか面白くて、早速フォローした。

 

日常の絶景: 知ってる街の、知らない見方

 

 

北山殿として朝廷に対して超越的にさえ見える権威となった足利義満でさえ、守護大名に対しては専制君主になりえなかった。本書は恐怖政治を布き、専制君主を目指したが嘉吉の乱で赤松満祐に暗殺された足利義教の治世について丹念に史実を辿っている。しかし、なぜ室町殿の政治権力が北条得宗家や徳川将軍のように強固になりえなかったのかについては本書のように政治プロセスだけを追っても得心は行かない。やはり武士団が解体し国人が跋扈する社会的な対流の中での守護大名、室町幕府、朝廷、宗門の権力基盤についての分析を知りたいところ。

 

室町幕府崩壊 (角川ソフィア文庫)

 

 

クラシック音楽の歴史に関する本は何冊か読んできた。音楽理論寄りで音楽の様式の発展や変遷を辿った本もあれば、音楽を受容した階層に着目して社会の変化や世相の視点から述べた本もある。本書はどちらかと言えば後者のタイプだと思うが、類書と異なるのはトリビアな知識に満ちていることである。ある意味、俗人にも面白く読める逸話が豊かなのである。だが通俗的な話だけではない。例えば演奏会の性格がベートーベンの死後と、それ以前とでは異なっていることが説明されており、それを読んでバッハが死後約80年間忘れられた理由が理解できた。

 

クラシック音楽の歴史 (角川ソフィア文庫)