アコースティックギターでソロを弾くための楽譜では、五線譜とタブ譜の両方を記載しているものがある。タブ譜というのはルネサンスからバロック時代によく弾かれていたリュートというギターの親戚のような撥弦楽器で用いられた譜面である。

(注)正式にはタブラチュアと呼ばれるが略してタブ譜またはTab譜と表記されることが多い。必ずしもリュートやギター向けに限らず、特定の楽器向けにわかり易く音を示した固有の譜面も含まれる。

 

 現代ではギター向けに広く使われているが、五線の代わりにギターの6本の弦が横線として描かれ、おたまじゃくしの代わりに、どこのフレットを押さえるのか数字が付されている。おたまじゃくしの尻尾は活かされているので音の長さはわかる。

 

 リュートは往時の花形楽器だったが、主にタブ譜が用いられていた。ギターを弾くためには五線譜が読めればタブ譜を使う必要はないが、五線譜に不慣れな人にとっては直感的に、どこを押弦すればよいかわかるので便利なものである。

 

 何故かバロック期を境にリュートは下火になり、今では古楽器として扱われている。代わりに撥弦楽器で、古典派の時代に流行したのがクラシックギターで、今の楽器よりも少しサイズが小さくタブ譜は用いられていない。

 

 古典派の時代に書かれたギター曲は同時代の管弦楽の影響を受けており、ソナタ形式や変奏曲など形式も多様で、モノフォニーを和声で支えながら進行し、キーもリズムも変化に富んでいる。曲を書くにも演奏するにも五線譜でなければ困難だろう。

(注)対してバロック期のリュート曲は(教会)旋法で発想されたポリフォニーな音楽が多くて、用いられるキーが少なく転調もあまりない。タブ譜の方が便利だったのではなかろうか。

 

 言い換えるとタブ譜には制約があって、楽典の知識を持っている人でもタブ譜を見て調性や和音を直感的に知るのが難しく、ギターを手っ取り早く演奏することはできるが、和声を加えるなどのアレンジを行うには向いていない。
 

 そんなわけで初心者がクラシックギターを習う場合について言えば、五線譜から入るのが常道である。そもそも古典派の時代のギタリストにして作曲家だった巨匠たちはタブ譜ではなく、五線譜で曲を書き遺しているわけなのである。

 

 こうした事情があるのでクラシックギターの曲はタブ譜があまり用意されていない。それでも、たまにクラシックギターの曲を五線譜とタブ譜の両方で示している楽曲集を楽器店などで目にすることがある。

 

 そして、ネット通販のレビューでそうした五線譜とタブ譜を表記した楽譜集(模範演奏のCDも付属)を絶賛する評価を見かけた。ところが、その内容たるや、だいぶこじらせているし、何も知らない初心者が迷うのではないか、と少々心配になった。

 

 そのレビューは概略つぎのようなことを主張していた。

  1. ギター譜面は世界の弦楽器の楽譜と同じく、昔からTab譜で伝わっていたもの
  2. 本書によってクラシックギターの古典バロック時代以来の正統な伝統方式である『Tab譜』が現代の曲に備わり、我流に陥らず正確な運指とその理由がこの本で学べる
  3. Tab譜と付録CD等の音源を組み合わせた本書のスタイルは、現代ギターの父、セゴビアの直弟子が正確な運指演奏の普及に努力して創案した方法で、今ではこれが世界の主流
  4. 日本のギター教室では協会が決めた級(グレード)があって指定の曲だけを弾けるように、練習させる。だから、文化に興味がなくて好きになれない練習曲や無味乾燥な曲も辛抱して何年も練習を続ける必要がある
 だいぶ、こじらせているので解きほぐすのが大変だけれども、まずは1番から。冒頭述べたとおりギターの譜面は古典派時代から五線譜である。西欧以外の古楽器は五線譜がなかったからタブ譜だろうが、ヴァイオリンやチェロは当然に五線譜である。
 
 2番については「古典バロック時代」が意味不明だが、概ねタブ譜はバロック時代までで古典派以降は五線譜。だから、現代のギター曲も五線譜で書かれているわけで、レビュワー自身も認めているように普通は『Tab譜』が備わっていないのだ。
 
 3番だが、セゴビアの直弟子とはベン・ボルトのことで彼がクラシック曲にタブ譜を導入する前からポピュラーの世界ではギタータブ譜は普及していた。正確な運指ではなくてクラシック曲の普及が目的。クラシックギターは五線譜が世界の主流。
 
 4番についてクラシックギターの団体でグレード認定を行っているところはあるが、団体傘下の教室でもなければ、そんなものは任意である。一般のギター教室がたくさんの練習曲を課すのは段階を踏まないと上達しないからで他意はない。
 
 レビュワー氏は正統な運指を強調するが段階を踏んで練習曲を学べば合理的な運指は自然に身につく。奏者によって相違があるのは解釈や表現の相違であり、唯一正統な運指なんてない。タブ譜で伝わっていないのに、なぜタブ譜が正統なんだろう?
 
 そもそもタブ譜は音を表す譜面であって運指を示すものではない。五線譜には指番号、弦番号、ポジションが必要に応じて所定の記譜法に則って示されるが、不足なら自分で記入すればよい。それが私が考える「運指」なのだが…。
 
 要するに、このレビュワーさんは五線譜を読むのも、段階を踏んで練習曲を勉強するのも面倒がっているだけ。我流で好き勝手にやっているだけなのに、それを正当化するためにタブ譜の運指の権威を主張しているが、それは根拠がなく意味不明だ。
 
 タブ譜を持ち出すから、一見もっともらしく聞こえるけれどピアノに置き換えれば、この話が不自然なことはわかる。ピアノにタブ譜はないが、五線譜もバイエルもチェルニーも学ばずに音源の耳コピで好きな曲だけ弾こうと頑張るのと似ている。
 
 このレビュワーさんが自分自身をこじらせるのは勝手だが、事実誤認にもとづく我田引水のレビューで他の初心者が迷路に入り込んだら気の毒である。クラシックギターの初心者は先生について普通に段階を踏んで学ぶべきだと思う。