クラシックギターを習い始めたのが2011年の1月だから、クラシックギター歴が今月で満十年になるわけである。よく続いたものだと思いつつ、反面、十年でここまでしか出来るようになっていないことは残念である。

 

 ギターは大学生の時に少し触ったことがあって、禁じられた遊びやソルの月光、ヘンツェのノクターン、サグレラスのマリア・ルイサなどを独学で弾いて遊んでいた。テキストは新堀さんが書いたものだった。五線譜は読めたもののハイポジションなど難しいことからは逃げていたし、今思うと楽譜の理解と表現については、まったく酷いものだった。

 

 社会人になってから若い頃は忙しかったし、地方勤務も長かったので楽器を教わる機会がなかった。ようやく第一線の多忙さから解放される年齢になってから、ふと思い立ってクラシックギターを習うことに決めたのだった。

 

 なぜ楽器の中でギターかというと、若い頃に手にとったことがあって親しみがあるし、和音を奏でることができる楽器となればピアノ(キーボード)かギターの二択となる。これからピアノを始めるのはきついなあ、と思った。なぜ、ギターの中でクラシックギターかというと、あまり深い考えはなくて将来どんなジャンルに進むにせよ、まずはクラシックが基本だろうと怖いもの知らずで選んだまでのことだった。

 

 最初に門を叩いたのは某音楽教室のT先生だった。体験レッスンを受けさせてもらって、なんとなく面倒見のよい人だと感じた。他にも、教室を訪ねればよかったのだろうが、どうせ初心者に先生の良し悪しがわかるわけでもないので、お世話になることにした。

 

 この先生は女性だが、それにしてもお喋りが好きだった。平均月2回のレッスンは60分だったが、半分くらいはお喋りだったように思う。初めの頃は、音楽やギターに関する知識に飢えていたので気にしなかったが、どうかと思う。

 

 T先生の教室で使ったのは「新ギター教本」という小原安正さんが著した教則本。ギター教室で広く利用されていて表紙の色から通称「青本」といわれている。入門した年の1月から6月にかけて、アルペジオの練習、ハ長調とイ短調の練習曲、そして有名なアグアドのアルペジオの練習曲を教わった。そうして青本の5分の1くらいを習ったら、早くも7月からはカルカッシの25の練習曲を習い始めた。

 

 正直、「あれ?青本のニ長調以下の各調の練習曲や、巻末の名曲集を勉強しないで、もうカルカッシ?」とさすがにいぶかしく思った。しかも、なぜかカルカッシの練習曲のCDを買うことを勧められた。首をひねりつつも、初心者の悲しさで言われたとおりに従ったのだった。

 

 実は、カルカッシの25の練習曲は作品60で、同じく練習曲集である作品59を学習した後で、演奏技術を高めるための教材としてカルカッシが創作したものである。この作品59がいわゆる「カルカッシ ギター教則本」であり、青本はこの教則本に相当する内容とレベルだったのである。

 

 だから、青本のさわりを教わっただけで、カルカッシの作品60にとりかかるのは無茶だったのである。そして、先生がCDを買わせたのは自分がレッスンで模範演奏をしてみせる気がないからだった。この頃は、なにもわからずT先生に言われるままに従っていたけれど、今思うと、まともに生徒を指導するつもりがあるとは思えないようなデタラメな教室だった。

 

 実際、25の練習曲は初心者にとって1番から難しかった。自宅でCDの模範演奏を聴きながら楽譜を追いかけようと試みたけれど、プロが音楽的に弾いたCDの速い演奏についていくことができなくて唖然とした。2番はハイポジションのコードがたくさん出てきて、五線譜を見ながら、ギターのどこを押さえればよいのか、パズルを解くような苦労をした。

 

 あろうことか、その上にT先生はアンサンブルをやらないか、と誘いかける。入門したばかりの生徒に冗談を言っているのかと思ったが、「初心者は単音でメロディーだけ弾けばいいから」というのでたいした負担にならないなら、教室のほかの生徒さんと仲良くするのもよいかな、と思って参加することにした。

 

 しかし、T先生の甘言に反して、このアンサンブルチームは生徒の親睦や技術の向上を目的としたものではなくて、クラシックギターの大きな団体が主催する大会に出場することを目的にしていたのである。だから、曲は決して易しくはなくて、レッスンで教わったことがない演奏技術(ピッチカートやらタンボーラやら)も要求される。

 

 しかも、団体の大会が近づくと、一人ひとりの演奏のチェックが入り、先生の酷評に晒される。ちっとも自分自身の上達につながらないし、チームの一員としての義務感が重荷になるのでこれでは本末転倒だと思って、仕事の都合を理由に2012年12月にアンサンブルからは撤退した。苦労した覚えはあるが一年半しか保たなかった。そのころのアンサンブルチームにいた仲間とは今では没交渉だし、当時の楽譜は捨ててしまった。

 

 T先生の教室では、年に3回(春・夏・冬)教室の発表会があって、その都度、レッスンの進捗に併せてカルカッシの25の練習曲から1曲、青本の巻末の名曲集から1曲を弾くようにしていた。名曲集のほうは発表会の前月に曲を選んで、一、二回レッスンで確認するだけだった。

 

 カルカッシの練習曲にしろ、青本に載っている名曲にしろ、T先生という人は生徒に模範演奏をしてみせるわけでもなく、このようにすれば弾けると教えるわけでもなく、生徒に自習させて教室ではおかしいところを指摘するだけという指導ぶりだった。ソルの作品32のワルツを選曲した時は、右手の指の使い分けがわからずじまいで、先生からはリズムがおかしいと指摘されただけ。

 

 わからないところ、おかしいと指摘されたところも結局は手本を示されないまま、過ごしてしまった。ソルのワルツ(作品32の2番)は後年、いまお世話になっているK先生に教わり直したが、的確な指導で永年の疑問が解消されてスッキリしたことを思い出す。T先生の教室にいた昔の仲間たちは、おそらく、正しい演奏の仕方を教わらないまま過ごしてしまっていると思わざるをえない。

 

 ゆとりが出来たと言っても仕事を抱えながら余暇をみつけて、ギターを練習してきたわけで、しかもT先生には指導する気がなかったから進歩は遅々としたものだった。2013年にはT教室のアンサンブル仲間だった女性の生徒さんが同時に4〜5人脱会したことも先生から聞いたけれど、自分自身のことで精一杯だった。(後で辞めた一人に聞いたら、みんなT先生についていけなくなったそうである)

 

 その後、新たに教室に入会した人もいたけれど、女性の生徒さんがごっそり抜けて、その少し前に男性の生徒さんも一人ひっそり退会していたようである。だから、アンサンブルチームは2013年後半から、かなり少人数のチームになったはすである。もともと個々の生徒を指導することよりも、生徒たちにギター団体の大会でアンサンブルを演奏させることに力が入っていたT先生だったから、さぞがっかりしたことだろう。

 

 2013年からはいきなりターレガの「アルハンブラの思い出」を勉強しましょうと言われて、カルカッシの練習曲を中断して数ヶ月練習して発表会で演奏した。それはよいのだが、どうもT先生は私を模範生徒にして、私よりも進捗が遅い他の生徒に範を垂れる役回りにしたかったようである。発表会では高い参加費を徴収するのに自分では生徒の前で模範演奏をしたこともない変わった先生であった。

 

 2014年だったはずだが、カルカッシの25の練習曲も20番台の曲と佳境に入っていた。夏の発表会だっただろうか、演奏する曲を相談したら「24番と25番を弾くんじゃなかったの?」と半ば叱責するような言い方をされたので耳を疑った。この年にはカルカッシを終わらせたいと言ったことはあったかも知れないが、夏の発表会で弾くなんて約束した覚えはないし、そもそも、まだレッスンで教わっていないでしょうに。

 

 教室で習っていない曲を弾けるわけがないから、教わっていた曲を発表会では弾いたけれど、なにを勝手にがっかりしているのかと呆れた。そうしたら別の生徒に私に弾かせようと考えた25番を弾かせていたので更に呆れた。その生徒さんは別の教室から入ってきた人で既にカルカッシを修了していたので演奏できたのだけれど、生徒に範を示したいなら生徒に弾かせるのではなくて指導者である自分が演奏すべきではないだろうか?

 

 そもそも私は自分の趣味としてクラシックギターを習っているのであって、基礎的な素養を身につけられること、私の希望を汲んで課題曲を指導してくれることをレッスンに期待しており、発表会は指導を受けた成果を披露する場である。T先生の教室や発表会の運営に協力するためにレッスンを受けているわけではない。弟子ではないのだ。なにか、生徒が自分の道具であるかのような勘違いをしているようで、かなり違和感を覚えたのだった。

 

 翌2015年に、我慢ならないことが二つあった。ひとつは、カルカッシの24番の予習をしていたら左手の運指に難しいところがあって、ローポジションでとるべか、ハイポジションでとるべきか迷ったためにレッスンの際に相談したときのこと。返って来た答えは「どっちでもいいよ」だった。なんだ、このやる気のなさは?!生徒が迷って相談しているのだから、少なくとも自分はこう弾いているくらいは示してほしいものである。

 

 もうひとつは、夏の発表会のこと。あいかわらずT先生の熱意はアンサンブルに向けられていて、私のことは眼中になくなったようなので、発表会の日時の案内をすっかり忘れていたようである。私の方から切り出して、発表会の日取と会場を確認したが、いつも事前に生徒に配っているプログラムを私に手渡すことも忘れたままだった。

 

 そういうことがあって、もうこの先生について行っても、成長することができないと考えざるを得なかったし、この頃にはすでにT先生の指導の仕方が他の先生方より劣悪なことに気づいていた。

 

 最後の発表会の後、当面休会する旨、音楽教室の事務局に手続きを行った。T先生にも、その旨、メールで連絡したら、ふだんは生徒がメールを出しても返事のメールを寄越さない人が、いきなり電話をかけてきたので驚いた。電話には出なかったが、それ以降、かかってくることはなかった。休会期限が到来する前に退会の手続きを行った。

 

 決して無駄な4年半ではなかったが、違う先生についていたら、もっと生徒にとって納得がいくレッスンが受けられたはずだと思う。