「幸福論」で有名なフランスの哲学者アランがプラトンの著作について思いを巡らせた書物。

 

 「幸福論」を読むとアランにとってデカルトはとても重要な古典の哲学者だということがわかる。でも、プラトンもアランにとって大切な哲学者のようである。

 

 プラトンがソクラテスや諸々の登場人物に語らせることによって示そうとした哲学的な思索ーイデア、洞窟、想起etcーを訓詁学として読み解こうとしたものではない。

 

 プラトンの考えたことを、もう一度、アランの中で消化して古典を愛する現代フランスの哲学者の視線を交えて、捉えなおそうとしたもののようだ。

 

 「幸福論」もそうだが難しい専門用語はあまり使われていないのに詩的で婉曲な表現がなかなか分かりにくい。

 

 プラトンが抱いてアランが再構成した考えは、言葉で直截に表現するには微妙で捉えがたい。

 

 それを掴まえようとすれば、詩的で回りくどい言い回ししかできないのだろう。

 

 だから、この本はプラトンを理屈で解説したものではない。読者も理屈で解ろうとしても無理なのだ。

 

 アランが微妙な言い回しで示そうとしたことを、語られた言葉に注意しながら、その先に想いを馳せるべきなのだ。

 

 案外、それが本来の哲学的思索に近いのかも知れない。そうではないとしても、この本を読む楽しさは理屈で考えるところにはないだろう。