とにかく、全てがめんどうくさい。
なぜなのか。。
家事全般は嫌いとまではいかないが、好きでもない。面倒くさいので、取り掛かるまでは大嫌い。やり始めれば、まぁまぁ嫌いではない。
仕事はやっている間はそれなりに楽しいが、打ち込めるほどの情熱はない。

そもそも、時間があったら、リラックスというかもう、だらけていたい。
何か読むでも観るでも寝るでもいいけど、ノータスクで無責任に横になって怠けたい。
あまりのダラダラ生活欲求に、自分でも、あれ、生きてる意味ってなんだろうはてなマークとか、ふと、我に返ったりする。
別に無感動なわけではないし、毎日それなりに楽しく元気に過ごしていて、うつとかではない。


世の中には、子供が小さくても、ダラダラ生活を送る優雅な奥さんたちがいるらしい。
そういうのをダラ奥といって、まずまず認識されているわけだから、同じような人が一定数はいるはずだ。

優雅なダラ奥生活への夢を同じく家事が苦手な友人に話したら、
いやー、私には無理、、さすがに生産性なさすぎるでしょー。毎日その生活っていうのはちょっと。不安になって、なにか見つけて動いてる気がする。
と言われる始末。
ごもっとも。。

感動を求めに行く力がなさすぎる。
そのわりに、日常で感動することはたくさんあるので、まだ心は枯れてないと思う。
それを積極的に味わいに行く力がなくなってきている。
衝動というのが妙にない。

20代までは、急に思い立ってすぐ行動したり、無謀なこと(その時は無謀とは微塵も思ってない)をやったりしていたなぁ。

いいなぁと思うことがあっても、必要に駆られなければ、日常を乱すようなことを挟み込む面倒さの方が勝つ。

子供がいることによる制限とかではなくて、自分の性質の変化。
昔から怠け者気味ではあったけれども、今とは違う。

ダラ奥のひとは、いつから、どんなきっかけでダラ奥になったんだろう。
ダラ奥さんたちは、日々過ぎて行く毎日について、どう考えているんだろう。
諦念みたいなものを持って、日々を過ごしている?そんなこともない気がする。
緩やかで楽しそうにも思える。

人生100年と言われると、このまま100までダラダラしてるのかなぁと違和感と不安を持つ。
そんな頃に、自分に楽しめる力、、自分が身軽に楽しむ身体と頭を保っているのか?
何に楽しみを見出して生きていくんだろう。
見当もつかない。
目減りしていくバイタリティを感じると、先が想像できない。

やっぱり、信念と情熱をもって活動している人は強いと思う。
若い時に、そのビジョンを見つけることができれば、バイタリティの火を灯し続けられると思う。
私は、それなりに楽しく、それなりに生活しているけれど、情熱が緩やかに消えていくのを自覚するのは物悲しいものがある。
自分の失敗の一つとして、娘を育てていくにあたって、役立てたい。
具体的な方法は分からないけれども。


グダグダ考えて、結局、ありきたりだけれども、
まずは、親が生き生きして、情熱を燃やす姿を見せることが、いちばんだと思った。


それが一番難しい、、