有限と無限の狭間で立ち止まる
何にでもなれる、というのは
何にもなれないということ
どれも私だ、というのは
どれも私ではないということ
言葉が後ろに背負うものはいつでも可能性を閉ざす
言葉をひとつ覚えるたびに
世界をひとつ知るたびに
無限をひとつ失うのです
感覚を忘れないでください
言葉にできない感覚という存在を
自分が何者であるか
自分が何になれるか
それを全て言葉にしないでください
意図せずに、自分や他人の言葉で私はまた覆われていく
あなたが何も知らない頃
私が何も知らない頃
きっと無限の可能性の感覚があったはずなのに
本当に何にでもなれたのに
今の私にはわかりません
何になりたいのか、そして何のために生きるのか
死にたくはないのです
でも生きるための理由が見つかりません
現実がモラトリアムの延長を認めてはくれないのは、1人の人生が有限の時間の中にあるからでしょうか
しかし、モラトリアムの中を彷徨うこの時間は無限のようにも感じます
どこにいるのかな、、、ぼんやり。