レプリカ
海外製。
全長約1,270mm。
重量約2.0kg。
ストラップ本革。
収納ケース無。
刻印無。
NWA世界ジュニアヘビー級王座
NWA世界ジュニアヘビー級王座(NWA Junior Heavyweight Championship)は、NWA(National Wrestling Alliance)本部直轄のプロレスのタイトルである。
概要
王座創設は新NWA(アライアンス)が発足される前の第二次世界大戦中の1943年で、後にアライアンスの初代会長に就任するピンキー・ジョージ(英語版)によりケン・フェネロン(英語版)が初代王座に認定されている。1944年にはMWA王者エディ・キャンベルを下し王座統一。
1949年、新NWA王者ビリー・ゲルツ(英語版)と旧NWA(アソシエーション)王者レロイ・マクガーク(英語版)の間で王座統一戦が行われ、勝利したマクガークにより新旧王座が統一された。1950年2月、マクガークが交通事故による失明のため返上。1950年11月13日王座決定戦でバーン・ガニアがベルト獲得。1951年に王座を獲得したダニー・マクシェイン(英語版)は3州の王座を吸収する。
その後、元王者でオクラホマ地区のプロモーターであったマクガークによって同王座の管理・運営をNWAから任されることになり、主にマクガークのプロモートするNWAトライステート地区(オクラホマ、ルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソー)で選手権試合が行われるようになった。だが、このことが王座の占有を招く結果となり、NWAの反主流派と呼ばれていたプロモーター達(WWFのビンス・マクマホン、CWFのエディ・グラハム、ハリウッド・レスリングのマイク・ラベール、新日本プロレスの新間寿ら)と反目する原因となった。
1979年に当時の王者であったネルソン・ロイヤルの引退に伴い、反主流派はロサンゼルスにて同年12月10日に王座決定戦を行い、スティーブ・カーンを新王者に認定するも、これに異を唱えたマクガークも1980年2月11日にオクラホマで王座決定トーナメントを決行し、ロン・スターを新王者に認定したため、一時期、2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するなどの事態を招いたが、最終的にはマクガーク版のタイトルの正当性が認められた。なお、反主流派が新設したタイトルは「NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座」として日本に定着している。
ケン・マンテルが王者時代、フリッツ・フォン・エリックが1万ドルで製作したレジー・パークス製作のベルトが贈られる。1974年12月5日には、日本大学講堂においてマンテルにジャンボ鶴田が挑戦。1982年5月25日レス・ソントンからタイガーマスク(初代)が奪取するが、NWA本部では王座獲得のみを記録し、アメリカではソントンが継続して王者として活動する。タイガーマスクは新日本プロレス認定の王座として防衛戦を続ける。ソントンがWWFに移籍すると、その後はジム・クロケット・ジュニアが管理、最終的に、ロイヤルが過去の実績が認められ認定されるが1988年に王座は封印。新日版王座は、タイガーマスク引退後に1983年11月3日にザ・コブラが獲得。WWFの同級王座と共に新日本プロレスにて管理されていたが[2]、WWFと新日の業務提携終了に伴い、1985年10月31日をもってWWFジュニアヘビー級王座を返上。この機会に、1985年8月に王者であったコブラがNWA王座も返上することとなった。
wikipediaより
以下参考画像











