【非売品】 IWA認定世界タッグチャンピオンベルト レプリカ | 『大激闘マッドポリス/特命受験生』

『大激闘マッドポリス/特命受験生』

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海外製。

全長約1,290mm。

重量約3.5kg。

ストラップ本革。

収納ケース無。

刻印無。

 

IWA世界タッグ王座

IWA世界タッグ王座(アイダブリューエーせかいタッグおうざ)は、日本のプロレス団体だった国際プロレスが認定・管理していたチャンピオンベルトのひとつである。

概要

国際プロレスのタッグチーム・タイトルとしては、これ以前に1967年アル・コステロ&ドン・ケントファビュラス・カンガルーズを初代王者チームとして創設されたTWWA世界タッグ王座がある。1968年2月14日、豊登&サンダー杉山がカンガルーズからこのタイトルを奪取。ほどなくしてTWWA(トランス・ワールド・レスリング・アソシエーション)の設立者の一人であるグレート東郷国際プロレスと決別、組織としてのTWWAも形骸化したが、同タッグ王座は以降も国際プロレスのフラッグシップ・タイトルとなり、翌1969年にかけて20回以上の防衛戦が行われた(挑戦者チームには、ビル・ロビンソン&トニー・チャールズスカイ・ハイ・リー&ジ・アウトロージョージ・ゴーディエンコ&ジョン・ダ・シルバ、ゴーディエンコ&ピーター・メイビアなどがいる)

その後、新たな統轄組織・IWA(インターナショナル・レスリング・アソシエーション)がTWWAに取って代わる形で発足。1969年5月18日にフランスパリで開催された王座決定トーナメントの決勝戦で、豊登&ストロング小林モンスター・ロシモフ&イワン・ストロゴフを破り初代王者チームとなった

以降、ラッシャー木村グレート草津マイティ井上アニマル浜口など国際プロレスの主力勢が戴冠。外国人チームが当時アメリカで保持していたタッグ王座とのダブルタイトル戦も行われ、1974年11月21日に大阪府立体育館で行われた木村&草津vsニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスAWA世界タッグ王座とのダブルタイトルマッチだった(1972年11月30日の茨城県立スポーツセンター体育館での小林&草津vsディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーはWWA世界タッグ王座とのダブルタイトルマッチとして行われたが、実際には当時のWWA世界タッグ王者チームはザ・ブラックジャックスであり、ブルーザー&クラッシャーは同王座を保持していなかった

1974年3月31日に釧路市厚生年金体育館で行われた木村&草津vsジム・ブランゼル&ザ・ブルート戦は初の金網デスマッチでの防衛戦となり、以降は金網デスマッチによるタイトルマッチも行われた[2]1981年8月8日、北海道根室市での井上&阿修羅・原vsジェリー・オーツ&テリー・ギッブス戦が最後のタイトルマッチおよび最後の金網タッグデスマッチとなり、翌8月9日の国際プロレス崩壊とともに封印

国際プロレスがAWAと提携していた1970年代前半は、ブルーザー&クラッシャーをはじめ、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツハリウッド・ブロンズ)、ダスティ・ローデス&ディック・マードックテキサス・アウトローズ)、ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソンミネソタ・レッキング・クルー)、ニック・カーター&スウィート・ウィリアムスザ・キウィズ)、スーパースター・ビリー・グラハム&バロン・フォン・ラシク、そしてAWA世界タッグ王者チームのボックウィンクル&スティーブンスなど、当時のアメリカでもトップクラスの強豪チームが挑戦者として名を連ねている。 

ベルト自体は、初代はTBSTWWAプロレス中継』時代に使用され、2代目は東京12チャンネル(現:テレビ東京)『国際プロレスアワー』開始に合わせて新調された。

歴代王者

歴代数レスラー防衛回獲得日付獲得した場所 / 対戦相手・その他
初代豊登
ストロング小林
41969年5月18日フランスパリ
※トーナメント決勝でモンスター・ロシモフ & イワン・ストロゴフを破り獲得
※1970年1月9日、豊登の国際プロレス退団により返上
第2代モンスター・ロシモフ
マイケル・ネイダー
01970年1月18日福岡市九電記念体育館
※サンダー杉山 & グレート草津との王座決定戦で獲得
第3代サンダー杉山
グレート草津
81970年2月3日広島県立体育館
第4代ラリー・ヘニング
ボブ・ウィンダム
31970年11月19日足利市月丘高校体育館
第5代サンダー杉山
グレート草津
41970年12月12日台東区体育館
※1971年6月29日、草津のアメリカ遠征により返上
第6代レッド・バスチェン
ビル・ハワード
11971年9月7日大田区体育館
※サンダー杉山 & ラッシャー木村との王座決定戦で獲得
第7代サンダー杉山
ラッシャー木村
71971年9月23日諫早市体育館
※1972年5月、木村のアメリカ遠征により返上
第8代グレート草津
ストロング小林
61972年7月7日千葉県体育館
ビル・ミラー & バロン・マイケル・シクルナとの王座決定戦で獲得
第9代マッドドッグ・バション
イワン・コロフ
11973年4月18日土浦スポーツセンター
第10代グレート草津
ラッシャー木村
111973年5月14日船橋ヘルスセンター
※1975年4月30日、木村のIWA世界ヘビー級王座獲得により返上
第11代グレート草津
マイティ井上
21975年6月13日岩手県営体育館
トーア・カマタ & デューク・サベージとの王座決定戦で獲得
第12代ピエール・マーチン
マイク・マーテル
11975年11月3日後楽園ホール
第13代グレート草津
マイティ井上
51975年12月2日横浜文化体育館金網デスマッチで開催)
第14代リップ・タイラー
エディ・サリバン
01976年6月7日福山市民体育館
第15代グレート草津
マイティ井上
71976年6月11日古河市民体育館
※1977年1月4日、IWAワールド・タッグ・トーナメント開催に伴い返上
第16代ビッグ・ジョン・クイン
クルト・フォン・ヘス
01977年3月25日横浜文化体育館
※IWAワールド・タッグ・トーナメント決勝でアニマル浜口 & 寺西勇を破り獲得
第17代グレート草津
アニマル浜口
31977年3月26日蔵前国技館
第18代ワイルド・サモアンズ
アファ & シカ
01978年1月5日大阪府立体育館
第19代グレート草津
アニマル浜口
41978年1月20日大田区体育館
第20代山本小鉄
星野勘太郎
11979年1月21日後楽園ホール
第21代アニマル浜口
マイティ井上
111979年2月23日千葉公園体育館新日本プロレスの興行)
※1980年4月13日、浜口の負傷欠場により返上
第22代ストロング小林
永源遙
01980年6月29日後楽園ホール
※マイティ井上 & 寺西勇との王座決定戦で獲得
第23代アニマル浜口
マイティ井上
51980年7月15日富士市民体育館
※1981年4月18日、浜口の病気療養により返上
第24代ポール・エラリング
テリー・ラザン
11981年5月4日札幌中島スポーツセンター
※ラッシャー木村 & マイティ井上との王座決定戦で獲得
第25代マイティ井上
阿修羅・原
31981年5月16日後楽園ホール(金網デスマッチで開催)
※1981年9月30日、国際プロレス崩壊のため封印

 

Wikipediaより