☆昭和の私的な出来事
小学生の頃に父親が、長期の入院生活を余儀なくされて
週末に家族で、見舞いに行く生活を退院する其の日まで続けたのですが、
其の父親が、入院していた病院は、大手町駅~徒歩10分程(曖昧な記憶ながら)と記憶してますが、
橋の袂か中央だか渡りきった処か記憶は、無いのですが、受付と云いますか検問所みたいな所が、有りまして
其所で、身分照会した後に病院内の敷地に入れるのですが、
敷地内には、警備の騎馬隊が、居ましてそれを見ただけで、子供ながら外とは、随分景色が違うなと感じるのですが、
病院の外観は、保養地と云った感じながら内部は、何ともくたびれた感じでして
当時は、こんな処に入院して大丈夫なのかと思ったんですが、最近、改めて調べたら
最新設備が、整って要るそうです。
感じんの病室は、個室では、無く相部屋(二人部屋)だったんですが、其のもう一人の方は、父より若く
何でもメダカの研究をしているそうで、
で、ある日其の方が、1通の手紙を見せてくれたのですが、(内容は、割愛)
一言で、申せば叱咤激励なんですが、
小学生ながら色々と目配り気配りする御方なんだなぁと思った次第(飽くまで、当時の感覚ながら)
まぁ察しは、付くと思いますが、手紙は、
美智子さま(皇后と書かないのは、当時の感覚だと様でしたので)~の手紙でして
(相部屋の方は、宮内庁の職員で、メダカの研究と云えば鋭い方は、お気付きとは、思いますが)
で、当時~不思議だったのが、
父親は、サラリーマンでして
どう云った経緯で、宮内庁病院に御世話になる事に成ったかは、未だに不明でして
誰かの紹介なのは、間違い無いながら
後、当時
平日にひっきりなしに見舞い客が、来るもんだから病院側も驚いていたらしいとか
確かに簡単に足を踏み入れられる訳でも無いから1度は、と思っても不思議は、ない訳でして
父親が、退院して以降は、一歩も足を踏み入れてませんので、現在の位置付けとかは、全く分かりませんけどね
無論、此れまで、書いた事は、自慢話の類いでは、無く経験した事をつらつら綴っただけの話しな訳ですが、