土器の歴史を調べると、
紀元前6000年ごろのメソポタミアで、
ハラフ式彩文土器、サマッラ土器と言われるものが出土しており、
食料の保存や煮炊きに使われていたと推測されています。
そのころの日本は縄文時代で、縄文式土器が生まれていましたが、
灌漑技術による農耕が定着していたメソポタミアの方が、はるかに進んでいました。
土を水でこねて乾かし、火で焼いて作った土器は、
その土地の様々な文様などが描かれているものでした。
特筆すべきは、土をこねて作った粘土板が、紙のように使用されていたことです。
粘土板に刻まれた楔型文字であらわされた貴重な記録は、
紀元前3000年ごろから西暦1,2世紀くらいまでのもので、
発見されているだけでも、40万枚もあるそうです。
当時の人たちの「生きた証」を記録した、古代データベースと言えます。
その一つ、「ギルガメシュ抒情詩」が有名ですね。
・・・
文書を記録すると言えば、「紙」が思い浮かぶ私たち現代人にとって、
「土を紙代わりに使う」は、ちょっとした発想の転換です。
植物で作った紙と、土で作った粘土板。
どちらも「地球上にあるもので作れる」「文字を記録できる」という点では同じですが、
粘土板は、筆がいりません。尖った石や骨、木の枝などがあれば書けます。
作る手間はどうかというと、
私が以前、手すき和紙を作った経験では、けっこう大変でした。
粘土板は、形にこだわらなければ楽に作れるような気がするので、
今度やってみようと思います。
。。。いろいろな角度から見て、粘土板の方が紙よりも手軽そうですね。
今の時代においては文書は電子化され、
ハードディスクに記録されて、紙に表されることが減りました。
電子文書は場所を取らないし検索もできるので、管理も使用も楽です。
ですが、電子文書は「電気」のおかげで読んだり書いたりできるのわけなので、
もしも今、突然電気が使えなくなったら、
たくさんの記録が失われて、困ったことになります。
植物から作り出すことのできる「紙」は記録媒体としては優れていますが、
作るのに手間がかかることと、年月が経つと風化して
分解されてなくなってしまう。
要するに、長期保存ができません。
その点、粘土板は優れていますね。なにしろ土でできているので、
気の遠くなるような年月を経過しても残っています。
私たちが、古代メソポタミアの記録を読むことができるのは、
粘土板のおかげです。
自分たちの祖先の死体からできている「土」からできているということだけでも、
偉大ですね。
ですが万が一、粘土板がもしなかったら、
私たちは、自分の「生きた証」をどこに記録すればいいのでしょう。
推測なのですが、すべてのことが記憶されている、
どこかの膨大な領域があるに違いない。
一人ひとりの行いや、思ったこと、感じたことも、
すべて残らず記録されていて、生きる上での土台となり、
今生きている人は、その延長線上を歩いている、
そう思います。
