汽水湖をはさんだ大森山の反対側に、コンクリートで固められた土手がある。
29日早朝に行くと、海水がざぶざぶと音を立てて、海から流れ込んできているまっさい中だった。
満潮時だったせいもあるが、台風の影響も少しあったのだと思う。
この土手の上を、小さな赤いカニが歩いていた。
恐らくアカテガニという種類で、アシハラガニと同じく巣穴を掘る性質を持っている。
カニとしては乾燥した環境に強い耐性があり、岩や石の隙間をそのまま巣として利用することもあるという。
アカテガニに限らず、カニは陸上での生活に適応することができる。だが成長過程ではどの種類も、一時的に海中で生活しなければならない。
春から夏にかけて交尾の終わったメスが抱えた卵は、海中に向かって放出する形で産み落とされる。
7-8月の大潮(満月か新月)の夜、満潮の時間に合わせてメスが海岸に集合する。メスが体の半分くらいまで海水に浸かって体を細かく震わせ、腹部を開閉させると同時に卵の殻が破れてゾエア幼生が海中へ飛びだす。
煙のように泳ぎだした無数のゾエア幼生は引き潮に乗って海へと旅立つ。ゾエア幼生は体長2mm足らずで、頭胸部が大きいエビのような形をしている。海中を浮遊するプランクトン生活を送り、植物プランクトンなどを捕食しながら成長する。
カニの産卵は、月の采配によって行われる。
満潮時に産み落とされたカニの幼生ゾエアは、集団で引き潮に乗って沖へと移動する。
すると、プランクトンであるゾエアを食する、ボラなどの魚類が集まって来る。
それを目当てに大型の魚も集まって来る。
カニの幼生は、海の生態系を豊かにする大事な存在だ。
その役割は、命と引き換えに行われているのである。
ゾエアの生きる目的は「故郷に帰ること」だ。
生まれ故郷である陸に向かって集団で移動しながら成長したゾエアは
やがて脱皮して、メガロパというカニの姿に近い幼生になり、
秋に陸に近づくと脱皮して小型のカニとなり、上陸して地上生活を始める。
幼生ゾエアの集団は、「命を差し出す」という役割をこなしつつ、
変化変容の旅を続けて、生まれ故郷へと帰って来る。
月と地球の大自然によって導かれた、ドラマチックな生涯である。
松川浦の土手を歩き回っているアカテガニも、大森山にうじゃうじゃいるアシハラガニたちも、
この変化変容の旅の経験者であり、
地球上における役割のために、旅の途中で命を差し出した同胞たちの代表として生きているのだ。

