帰省3日目は、雨もあがって青空がのぞいていました。
お昼近くに、義理実家の近所の人に頼まれて草むしりを手伝いました。
もともと畑だったけれど3.11以後、使われなくなったまま放置されていて、
草が伸び放題になっている空き地が、あちこちにあるのを整備するためです。
都会育ちの私は草むしりと言えば、小学生の時に春先の校庭でやった記憶があるくらいなものです。
それは雑草の小さな新芽を素手でむしり取るだけの、体力も気力も必要としない作業でした。
ですが今回、大人になってからやった「草むしり」は、ある種の感動を私にもたらしてくれました。
「つばの広い帽子と軍手、それから汚れてもいい大きなエプロンを付けてくるように」と言われて、
なんだか大げさじゃない?たかが草むしりに・・・と思ったのですが、
現地に行ってみて、それが必要最小限度のものだとわかりました。
春から伸び放題になっている雑草は、草丈がかなり高くなっています。
大きなものは2メートル以上ありました。
まるで木のような太い茎の根元に近いところを両手でつかみ、
抱きつくような姿勢で、全体重をかけて引き抜くのです。
夏の草むしりは力仕事、全身運動なのだと知りました。
大きすぎて引き抜くことができないものは、カマで刈ったあとに除草剤を振りかけておけば、2,3日後には残っている根っこも枯れます。
ところが私は、この除草剤を、どうしても使いたくありません。
要するに農薬なわけですから、雑草だけでなく小さな昆虫たちの命も奪うし、土そのものもダメにしてしまいます。
そういう事情もあって、大きな雑草の引き抜きを必要以上に頑張ってしまったのでした。
誰かが「これは大きいから刈って、あとから除草剤を・・・」なんて言っているのを聞くと、
「ちょっとまって、刈らないで、それ私がやる!」
としゃしゃり出るありさま。
・・・背の高い雑草の引き抜きは、私の担当となったのでした。
お昼を過ぎると朝からあった雲が少なくなり、日差しも強くなりました。
炎天下、土と葉にまみれながら雑草と1時間以上格闘しているうちに、
ある種の恍惚感のようなものが、自分の中に漂い始めました。
「多摩川で、浅瀬に入った時によく似ている」
と思いました。
水・土・草などの、大自然のものを全身で感じるような状態に長くいると、
自分がいつも使っている五感が活性化されるとともに、
普段意識することのない、第六感以上のものを感じるセンサーも活発になり、
「目に見えない何か」を受け取ることができるのです。
多摩川のときは水によるものでしたが、今回は太陽・植物・土によって、同じように得るものがありました。
あと、以前から思っていたのですが、
夏の太陽の光は、人間の持っている可能性を引き出す刺激になる気がします。
そう思うと、今年の7月から猛暑が続いている理由に関する妄想が止められません。
私は炎天下に長時間いてもなんともない体質なので、この夏、猛暑の日でもけっこう外を歩いています。
熱中症の心配があるので、一般的にはあまりお勧めできませんが。
炎天下、みんなで頑張った草むしりは、2時間弱で終了しました。
私はもう少し続けても大丈夫だったのですが、もう限界になっている人がちらほらいるようでした。
草むしりは、土と草と太陽の光の恩恵にあずかることのできる、神聖なる作業です。
今まで知らなかったのは、何とももったいないことでした。
都会に住んでいる場合は、わざわざ土のあるところに出かけて行って、行う価値があると思います。
