視覚とは?聴覚とは? | Message

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自然から受け取ったメッセージを中心に発信していきます

インフルエンザ発症3日目。今朝は38度台の熱で、何とか日常生活ができるレベルです。ふらふらしているので支離滅裂的になるかもしれませんが、

 

一昨日の夕方に体験した「39℃の私」について、忘れないうちにもう少し書いておきたいことがあります。

 

今までに何度か体験していることですが、熱が39℃を超えると、5感に感じられるものの全てを刺激として感じるようになってしまいます。

 

この状態をもう少し冷静に観察してみると、ふだん私たちが当たり前として受け取っている目に見えるものや耳にはいる音、肌で感じる以外のものを受け取っているということがかいま見えてきます。

 

 

一例をあげれば、「39℃の私」は、文字や音に、色を感じます。

 

「三角形」を見るとレモンか梅干しを食べた時のような酸味を感じます。

 

数字の組み合わせが一種の独特な意味あいをもっているように思えたりもします。

 

テレビで時代劇をやっていて、お侍さんが雪の中を歩いているシーンを見て、自分も手が凍えそうに冷たくなり、寒くて見ていられなくなったりします。

 

・・・高熱によって心身のどこかがいつもと違っているのだと思いますが、

 

いろいろ調べていて、これらのうちのいくつかは共感覚といって、一部の人に見られるものであることを知りました。

 

共感覚<Wikipediaより>

 

これについては興味深くもあり、もう少し詳細に観察してみたい気持ちもあるのですが、

 

何と言っても高熱のときに感じる「空気そのものが刺激に感じられ、寒気と震えという反応が出る」という感覚がたまらなく辛いので、共感覚について調べるために「39℃の私」になろうなんて全然思いません。

 

 

いずれにしても、人の感覚って奥深いものだと思います。 

 

赤ちゃんにおいては視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚等の異なる種類の感覚が未分化な知覚を生み出しており、通常その後の成長による感覚の発達にともなう脳の結合の変化によってこうした共感覚は失われていくとされる。

<Wikipedia 共感覚>より

 

だそうです。私たちが持っている「視覚とは、聴覚とはこのようなもの」という一般常識は、きっと人間社会のなかで成長していく過程で作られたもので、

 

もしも「音に色がついている」とか「形に味覚がある」というようなことを常識とする世界に育ったら、誰もが当たり前にそのような感覚を持ち、それを活用して生きていくかもしれないですね。

 

...まだ続きがあるのですが、長くなるので次回にします。