...前回の続きです。
不慮の事故・体調不良によって仕事に行けなくなり、
とりあえず、全快するまでの長期休暇ということになっているのですが、
今の時点で今後の経過が何となく読めていて、報告する内容はもう決まっています。
「できる範囲で出社させてもらって今回の埋め合わせする」という。
でも一人で勝手に決めるものではありません。迷惑をかけた分の埋め合わせは相談次第だし、物事には順序というものがあります。
最低限、主人に相談するというのは省かないようにしようと思います。
ですがそれすら、展開は既に読めています。
「好きにすれば、菊乃は何でも自分で決めるでしょ」
そうです。主人もよくわかっているのです。相談ではなくて「報告」に近くなるということが。
・・・
このように今困っていること、悩んでいること、人に相談したいと思っていることがあっても、
どうしてそうなるのか、どうすればいいのかは、全部自分が知っています。
ですが「小さな自分」に100%なりきっていると、それに気づけません。
それで人に相談したりするわけですが、相談にのってくれる相手は自分の世界の登場人物です。
なので「小さな自分」ではない、超客観的視点の方の自分(ハイヤーセルフ)から出てくるものを読み取った答えを返してくれます。
だから人に相談するということは自問自答、自作自演というわけです。
誰にも相談せずwebなどで他人の発言の中に回答を探そうとしても、自作自演であることに変わりありません。
私の経験によると、誰かに相談しても全く的外れな答えが返って来るとか、webをどんなに検索しても満足させてくれる発言に出会えない場合は、
自分が自分のことをよくわかっていないという原因が、あったと思います。
気づきを進めていくどこかの過程でこのような「小さな自分」の自作自演を見破り、
少しずつ超客観的視点の方にシフトしていくことができる、
自分で自分を導いていくことが自然とできるようになる、
というのが、今回の自分の実体験を通して言えることのひとつです。
ある程度このようなからくりがわかっていながら
悩んでいる(ふりをする)手順をなぜだか省くことができない私は、
「そうするのが普通だから」という常識の中に生きていると思います。
今、小さな自分となんでも知っている超客観的視点の両方を、常に感じています。小さな自分は普段はポケットの中でおとなしくしていて、時おり出てくるという感じです。
ときどきうっとおしく感じる「小さな自分」がいなくなってこの状態を完璧に卒業するときがくるのか、それともずっとこの延長なのかどうかが、今現在抱えている、大いなる謎なのです。
...
私はこうやってPCに向かって自分の考えを記事にまとめることが、自分自身のために欠かせなくなっています。
記事を書くことは自問自答、自分が気付いていない答えを、自分が返してくれる・・・
それと同じで迷っていることがあるときや、自分のことがよくわからないときに、話し相手を求めるというのは有効な手段だと思います。
会話の中に思わぬヒントが潜んでいてはっとさせられる、というように。
...ちょっと支離滅裂的で説明しきれていない部分もありますが、
言いたいことが伝わる文章になっているでしょうか。
