夢の話を記事にしていて、孔雀のダンスまで書いたところで春分の日になっていました。
夢と現実の感じ方の違いを観察することで、「現実は自分が作り出している」がより実感しやすくなってくるのではないか、ということを書くつもりだったのですが、
鹿の角が受信機のように見え始めたあたりから脱線して、動物たちがメインの記事を4記事も書いていました。
これはこれでいいと思っていますが、本来書きたかった「夢と現実」に戻りたいと思います。
夢の中の視点は、私が超客観視点と呼んでいるもので、
この視点は、現実の中で活動しているときでも、眠っているときでも
同じ状態で変わらずに、全てを見ています。
夢の中の私は100%この視点に意識がありますが、
起きて活動しているときは、「小さな自分」と超客観的視点のあいだを行ったり来たりしています。
過去記事にも書きましたが、この行ったり来たりは自然に行われていることが多くて、普段そのようなことは忘れています。
ですが何かのときに、意識的に超客観的視点のほうにシフトすることもあります。
意識をシフトしたときにいつも感じるのは「一ミリも揺れ動かない力強さ」「安定感」が必ず背景にあり、
「全ては自分が決めている。だからこれでいいのだという絶対の自信」が前面に出ています。
疲れているときだと「癒し」が前面に出てきていて、自分に浄化があったときは「感動」がこれにかわります。
浄化が自分にとって大きかったときは、感動が何日間も続くことがあります。私はこれを「大感動期間」と呼んでいるのですが、
空が青いと感動し、風にゆれる緑の葉を見て感動する、というのが1週間くらい続いたことが私にも何度かありました。
このような感じ方は人によりけりの可能性が大きいので、あくまでも私の感覚を書いています、とお断りしつつもう少し言うのですが、
今回の春分の日はどうだったかというと、超客観的視点の方に意識をあわせた私にやってきたのは歓喜でした。
この喜びは、自分自身がこの世に生まれる前に感じていたものだと思います。世界中の人と手を取り合って喜び合うような感じでした。
以前に書いた気がしますが、動物たちの世界は喜びで満ちていると感じたことがあります。なので、今回出てきた孔雀やライオン、シカ、鷲、クジラなど地球に共存する仲間である動物たちはメッセージに歓喜を込めて、人間たちをあと押ししてくれたのだろうか・・・
と空想が果てしなく広がってとめられません。
春分の日に感じられた歓喜は、深い海の中から泳いできてやっと水面に出られたような感覚もありました。水面に出ることができるのは自分ですが、たくさんのあと押しが浮かび上がらせてくれたと思います。
水面に顔を出せたところで、一連の記事はここまでとさせていただきます。
-- 2017年春分 歓喜とあと押し 完 --
