アドラー心理学を分かりやすく解説した本として、岸見一郎氏、古賀史健氏著の『嫌われる勇気』が一時期話題になりましたよね。

今更ながらなんですが、昨日読んでみました。

(※あまり、いいことを書いてません。単純に個人的な感想で、読書記録としてこの記事を書いています。この本が好きな人にはすみません)

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事の発端は2月です。元いた会社の上の人たちと会食した際に、『嫌われる勇気』の話が出ました。

その時点で、フロイトの説く原因論についてはいくつかの関連図書を読んで大体理解していましたが、果たしてアドラー心理学とはどんなものなのかと (さわりくらいは知っていましたが) 気になっていました。

でもちょうど、偽カウンセラーとのやり取りで辟易していた頃で、他人の説く心理学はあてにならないと思ってた部分もあって、読まずにいました。

いまになって、再入社を前にして、自己理解や精神的支柱になるかもなどと思い、読むことにしました。

この本の位置付けは、おそらくアドラー心理学の導入本ということなのだと思います。スタイルとしては、悩める青年とギリシャ哲学とアドラー心理学を探究する哲人の対話という感じです。

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それで、内容についてですが、一回読んだだけなんですが、うーん…なんだか心に沁みませんでした。

理解できる部分や自分の考え方と近しいものもありましたが、その一方で、導入図書としての役割が強くてハイライトを端折っているからなのか、論理が頭にスッと入ってこなかったです。

読者は哲人が説くアドラー心理学の要素について、懐疑的な立場にある青年と自身を重ね合わせて読み進め、理解を深めるのがこの本の狙いだと思います。
でも自分にとっては、青年の疑問や納得する点があまりにも自分のそれと乖離しすぎていて、全く頭に入ってこなかったです。

それから哲人の挙げる例も、要素を論理を導くために帰納的に使おうとしているみたいなのですが、読み進めても論理が上手く汲み取れなかったり反例が頭にたくさん浮かんできて、納得できないことが多かったです。

あと何回か読めば理解できるのかも、とも少し思いますが、心理学に対する興味がまたなくなってしまいました。

ひとの心理を研究したと言っても、所詮いち学者が作った世界だなと思います。時代背景や経験した出来事、聞いた話などに偏りがあれば、そういった偏ったひとたちにしか通じなくなる。普遍的な真理はそこにはないですね。

色んなことを経験し、都度物事を深く洞察し、原理的に考えてこそ、一般化される真実にたどり着くのではないでしょうか。

アドラーはフロイトと対立し独自の学派を作ったと書いてありました。なので、この本はフロイトの原因論を否定するような論調なのですが、個人的な考えでは、それぞれの学派は適切な対象が異なるように思います。
アドラーの説く心理学は、死生観を常に意識せざるを得ないような状況にある人には不向きだと思います。そういったひとたちには、要求のハードルがあまりにも高い。そして、幸せに生きるのが最終目標になっている点で、ポイントがずれている。フロイトの説く心理学のほうが援助になると思います。心の整理がつくというか、拠り所を与えてくれると思います。それはそれで間違いではないし、偽りでもない。拠り所を作ったって人生の嘘では、毛頭ない。

純然たる真理にたどり着くはずもない心理学という学問において、原因論だ、いや目的論だと言い争うのは、端からみて非常に滑稽だと思います。

大事なものは、自分の状況にあうエッセンスを色んなひとの考え方から取り出して、自分が生きやすい独自の世界観を構築することなんじゃないかと最近思っています。

ですが世の中には本に書かれたことをそのまま、なんにも考えずに、さも自分の意見のように主張するいい大人が沢山いるんですよね。だから売れたんだと思います、この本。聞きなれない通好みそうな心理学の一学説が、なんだか自分が日々抱える悩みを克服できそうな感じに、対話形式という分かりやすそうに書いてあるので。ネタを欲するビジネスパーソンに、うってつけですよね。


なんだか悪口みたいになってしまいましたが、アドラー心理学も勉強になりました。いろいろなことを考えて形にするひとが沢山いるんですね、この世のなかは。


とりあえず現状維持でいきたいと思います。