この国は失われた20年を通過して30年へ向かうのか?それとも復興するのか?
優れた技術が世に受け入れられない理由シリーズ ー第7弾―
日本人って壊れるものが好きなの?セッション(総括)
クリック↓ クリック ↓
戦後、日本は目覚ましい復興を遂げた。
40年以上も日本経済は発展し続けた。
人口は増え続けた。
大量生産、大量消費の時代だった。
全てが右肩上がりで、我々はこの繁栄が未来永劫永久に続くと信じていた。
われわれの社会の教科書にはデフレはこないと記されていた。
1980年代後半から1990年代の初頭まで、後にバブルと言われる時代が到来した。
日本中がうかれまくっていた。
都会では、終電後まで遊んでいた連中がタクシー乗り場に長蛇の列を作っていた。
当時私は、東京のカプセルホテルで次のような深夜番組を見た記憶がある。
「1万円でタクシーの順番を譲ってもらえるか?」という企画である。
タクシー待ちの行列の先頭付近の人に「1万あげますから順番を譲ってほしい」と交渉しているのだ。
それに対して「1時間以上待っているのに譲れない」と誰もが拒否していた。
バブルとはそういう時代だった。
10年前、それが崩壊して「失われた10年」と言われ、マスコミが騒いでいた。
最近は「失われた20年」のはずなのに、マスコミが騒いでいない。
堕ち行く国家への関心さえ持てなくなっている。
このままではさらに、失われた30年になる。
何がいけなかったのか?
年金問題にも共通して言えることだが、繁栄が永久に続くと錯覚していたことが最大の敗因だ。
バブルが崩壊した時に日本中の自動車メーカーが大打撃を被った。
1社だけ例外があった。
三菱自動車だ。
不況で売り上げが伸び悩む中、「パジェロ」は売れまくっていた。
注文してから半年待ちの状態であった。
それから10数年後、必死の努力により日本中の自動車メーカーは回復していた。
その頃、三菱自動車は負け組になっていた。
絶頂期に製造し売りまくっていたパジェロが火を噴くなどの致命的なトラブルを多数巻き起こし、社会的な信用を失った。
トラックのタイヤ脱輪事故では、死亡事故の責任までも負わされ、それに対する対応のひどさは、世間をあきれさせた。
しかし最近では電気自動車の開発により復興している。
「人生万事塞翁が馬」とはよく言ったものだ。
全ての物は変化し続けている。
変化しないことは「変化は永久に続く」ことだけだ。
その時にうまくいったからと言って、そのやり方で未来永劫続くわけがない。
現在の敗因は将来のチャンス。現在の勝因は未来のトラブルの種なのだ。
現在の日本では高度成長期はとっくに終わっているのです。
大量生産、使い捨ての時代は終わっているのです。
人口は減少し続けているのです。
メーカーが客のことを考えず、会社の繁栄を考えて10年で確実に壊れる洗濯機を製造しています。
電力会社の幹部や悪徳政治家が、我欲を満たすために震度6で確実に壊れる原発を作って国民を苦しめています。
この国は、いつの間にか「金がすべてだ」と言う価値になっているようです。
それに伴い技術者は技術者魂を失っています。
「優れたものを作る。使う人が喜ぶ物を作る。世の中の役に立つものを作る。」
という気持ちが消失し、
「売れる物を作る。儲かる物を作る。そのために使う人が被害をこうむっても知ったこっちゃあない」と言うように変化しています。
技術者は誇りを失い、悪魔経済の手先になり下がっているのです。
このような優れた技術が軽視され、優れた技術者が尊敬の対象にならない状態で、技術立国日本の復興はあり得るはずがありません。
失われた20年、福島原発事故は、そのことを改める良い機会ではないでしょうか?
私はこの国の一般の家電量販店に、耐用年数50年の洗濯機が並び、雑貨屋やコンビニでステンレス製の箸が販売されるようになったときから技術立国日本の復興が始まると予言します。