たぶん、もう、おそらく問題はないと思うのでここで話しますが(笑)
僕は大学3年生の頃に某音楽事務所(今はない)のヴォーカルオーディションを受け合格。
その音楽事務所の研修生?みたいな感じで訳も分からず作曲して次々に先生に聴かせる。
で、その音楽事務所は徳間ジャパンというレコード会社の下請けみたいな感じで。
今思うと「歌ネタの収集」に使われていたような気も(笑)
ま、それはいいのですが、その後、CBS SONYの新人オムニバス盤といわれるアルバム
に参加したバンドでVOが脱退し、そこのオーディションをうけないか?という話をあるバンドマン
からもらい、それを事務所(徳間ジャパン系)に言ったら「ならここを辞めろ」と言われ(笑)
何の進展もないから速攻で辞めて、そのBANDのオーディションを受けました。
結果、、、声と歌は合格・・だけど、ルックスが・・・で不合格に(笑)
ま、当時は吉川コウジみたいなルックスが全盛の時に僕は肩までの長髪
と髭はやしてましたから。ま、仕方ないわな。。
ルックスは変えられませんから(笑)
ウチの親は「息子はに音楽的な才能がある」と錯覚して就職せずに音楽活動することを許容
してくれてましたが、俺自身が限界感じてたのかも。。
でも、やっぱりあきらめきれない。。でもちゃんと就職しなければ。。と揺れてる時に。。
当時の音楽雑誌で「下山淳が新バンドでVOを募集」とあり、俺は自分のギターをかき鳴らしながら
歌った「青い影」とやかましいくらいの大きな声で滅茶苦茶に歌った歌をテープに収め送りました。
1988年の秋くらいだったかな。。
もうこれが最後や!!という気持ちで・・
でも、結果、何もなく時間が半年くらい過ぎて。。
俺は親に「就職するわ」と連絡。 就職先も決まり、親が俺の当時のアパートに来て、
俺が当時のバイトに行ってる間に就職先の千葉県市原に行く荷造りをしていたら。。
「●●という音楽事務所のものですが」と電話が何度もあったそう。。
親が用件を聞いたら「息子さんが送ったテープが通りました」と。。
しかし、何も知らん親ですから「ウチのせがれは働きますから」と、、とにかく噛みあわない
会話があったらしい。。
これ、俺が千葉県市原市に向かう日にお袋から聞きました(笑)
何で俺に言わなかった???とケンカになりましたが、ま、しかし、、
どうなったんかねえ・・・
この時のケンカの事、お袋、いまだに覚えています(笑)
その1年後くらいかな?
下山淳さんが「60/40」というバンドを発足させたというニュースを就職先の現場で
知りました。。音源聴いたら。。。Voの人、俺とは全然違うタイプ。。
ウ~ン 。。何これ? 超微妙だった記憶。。。
人生はワカランもんです。
とにかく今の俺はBLUESDELUXに300% 注入!!
この歳にして最高潮というくらいノリノリです!!
最高の音をお届けしまっせ~!!!

