努力すること、私の苦手分野です。
誰しも努力をすることはできると思うのだけれども、どれだけなら努力できるのか、『努力できる力』というのは人に因って違うのです。
人に因って努力の程度というのは違うので、自分では努力しているつもりでも結果に結びつかなかったり、周囲から努力していないように見られたりすることがあると思います(ただ怠惰なだけの場合もありますが)。
天才肌の人が努力の仕方を知らない場合があるように、努力型の人が努力することでしか向上できないと考えているように、それぞれに得意不得意があるように、努力にも得意不得意があると思います。
また、努力しても自分の力だけではどうにもならないこともあるのです(誰かの力を借りれば叶えられることもあるかもしれないというのが前提です)。
助け舟というのは、タイミングを見計らったかのようにやってきます。
その人に本当に必要なタイミングでやってくるのです。
そして、助け舟は本当に困っている人に来るとは限りません。
困っていなくてもその舟に乗れる人はいます。
この場合に舟とは、一艘の木舟というより世界一周できるような豪華客船といったところでしょうか。
だから助けて欲しい時に助け舟が来ないのは、そのタイミングではないからです。
と、思うようにしています。
他人を変えようとするより自分を変える方が早い、ともよく聞くのですが、そこはそれ『三つ子の魂百まで』とはよく言ったもので、なかなかどうして一度こびり付いたものは、他人であろうが自分であろうが変わりにくいものです。
余程の大きなきっかけがない限り、重い腰は上がらないものです。
『やればできる子』と言われ続けてウン十年。
イコール『やらないからできない子』ということに大人になってようやく気付いたのですが、そんな私は努力が苦手です(怠惰なタイプです)。
何かをしようにも三日坊主で、長く続いた例がなく(まぁ堂々と公言するようなことでもないのですが…)、今度こそはと思っても、やはり何かのきっかけで止めてしまうのです。
とはいえ自分の好きなことや興味のあることに対しては驚異的な瞬発力を発揮します。
なのでこの先、余程の興味があることができ、更に集中することができれば継続していけるのではないかと思っています(希望的観測)。
余談ですが、そういえば中学生の頃に、科学の先生が仰いました。
希望の『希』という文字を書いて『のぞみ』と読ませる名前があるが、それは可哀想だ。
『希』というのは『うすい』ということ(例えば希硝酸は薄い硝酸)。
だから希望というのは『薄い望み』ということ。
希望というのは、叶いそうもないことを指すのだと。
『希』という名前の子は、親の思惑はともかく、漢字の意味からだけ読み取ると『薄い』という名前になってしまうのだそうです。
確かに可哀想。
最近はキラキラネームが流行ってますが、イメージはともかく、折角、沢山の文字を使える日本人なのですから、漢字の意味をよく考慮した上で名前を付けてあげて欲しいですね。
最終的に努力とは関係ない話になってしまいました…
昨日の夜は両親が揃って出掛けるというので、早く帰りました。
じーちゃんとぶーちゃんのご飯の準備があるので…
といってもオカンが準備しといてくれたのを並べるだけなんだけどね(笑)
そんな夜のデザートがさくらんぼ。
両親がいないので落ち着いた食卓(笑)
さくらんぼ食べながら、じーちゃんが子供の時の話してた。
米寿を過ぎたじーちゃんだから80年くらい前の話?
じーちゃんが子供の頃、小学校に野口雨情(!!)が来たこと。
さくらんぼの歌を即興で作って歌ったこと。
さくらんぼを食べる度に思い出すこと。
80年も前に聞いたその歌を未だに覚えて歌ってた。
落ち着いた穏やかな夜。
あんまりないかな。
でも幸せな夜。
(野口雨情さんを知らない人はネットで調べてみよう)