うちの師匠の好物 | 伝統呉式太極拳の修行中 @中野区

伝統呉式太極拳の修行中 @中野区

シンガポールでの太極拳修行を終え、本帰国しました。中野で教室を開いて皆さんの健康に与したいです

道場の2階に住むようになってから師匠の行動が今まで以上にわかるようになりました。朝、7時半ごろには学校のあたりに来て、朝ごはんを食べて、午前中に指圧治療を施し、午後から太極拳のクラスで指導をする。結構忙しい肩です。

 

ちなみに指圧は、別に指圧師というわけではなく、太極拳の技術の延長として先代から受け継いだものです。気の滞りを指圧のポイントを押すことで直してあげて、痛みだったり不快感だったりを和らげてあげるものです。

 

師匠の生活パターンがわかってきたので、もう少し何かしてあげられないかと思ってはいたのですが、何をしてあげたら良いのだろうとちょっと悩んでいました。入室弟子になっているのになんとなく他の弟子との距離も感じていたし。

 

先週、自分で食べようかと思って、鳥のもも肉の蒸し物を作りました。作り方は至って簡単。鳥の腿に塩、胡椒をして、10分ちょっとむすだけです。お醤油をちょっとかけたり、ごまだれをかけたり、それだけのものなのですが、良い鶏肉を買ってくるとこれだけで十分。

 

食べる前に道場に降りてみたら、ちょうど師匠がお昼を買いに行こうとしていました。せっかくなので食べないかと持ちかけたところ、一緒に食べることになりました。ご飯と鶏肉、もやしのおひたし、と言った非常にシンプルな内容です。でも、すごく喜んでもらえました。それ以来、機会があるとお昼には同じ内容のご飯を作るようにしています。

 

家族として行動するべき入室弟子の私、師匠との距離が少し縮まった気がします。

 

思い起こしてみると、広州に師匠や他の弟子と旅行をした時、師匠はほぼ毎食、蒸し鶏を食べていました。何も飾り付けのない、シンプルな鳥の蒸し物が好物だそうです。

 

師匠にちょっと前から言われている「放下」。師匠との会話から、太極拳に必要なのは体のリラックスだけでなく、心からリラックスしなけれいけないと最近感じていました。そのためには何をしなければいけないかが中々見えてこなかったのですが、自分の欲を捨てて、他人のためにいろいろなことをしてあげることがその一つではないかと思い始めています。

 

師匠が感心するような豪華な食事を作ることが大切なのではなくて、作ること自体に意味があるようです。師匠だけではなく、他の入室弟子が私をみる目も心なしか優しくなった気がします。

 

以前日本で太極拳を習っていたときや、他の方のブログを読んでいて感じるのですが、教室や仲間内でやはり自己を主張してしまうことって多いのではないでしょうか。そんなわだかまりを捨てるところにさらに自分の太極拳を磨くかぎがあるように感じます。