皆野川さん | 防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

「防浪提に抱かれて磯の香りも生き生きと」
田老一小校歌の歌い出しです
津波が来ても二重の防浪提が守ってくれると思っていました
津波はその防浪提までも破壊して、ふるさとを壊滅さた
それでも、やっぱり海は麗しいし、川は清い

2011教訓七郎丸の建造に多大なご寄付をいただいた皆野川家のご親族で、現在ロサンゼルス在住の方がボランテイア休暇で田老を訪れ、一週間漁協の仕事を手伝っていただきました。

夕べはささやかな送別会をしたのですが、話をしてみると「正しいと思うならどんな批判を浴びたとしても堂々と意見を貫くべきだ」ときっぱりとしてましたね。アメリカ的というか、曖昧さが一切無い。正しいと思って話をしてもキッパリと反対されると悩み出す私は、見習わなければと思いました。

なんでも、アメリカ人は日本人のように酔っぱらうまで酒を飲まないのだそうです。強い酒を2・3杯あおってさっと帰るのだそうで・・・

日本人は酔わないとなかなか本音が出ないんですよね

「いつかおじいちゃんの墓参りに来ます」とのことでしたが、この方のように田老に家もなく、ただ墓参りだけして帰って行くという人がこれからどんどん増えていくのでしょうね。悲しいです

代が変われば田老に来てももう誰が誰だか解らないですし、お墓参りに行ってもすれ違う人は知らない人ばかりというのもね

私が子供の頃は家から歩いて海や川に泳ぎに行けたし、魚や貝やカニがたくさんいて、田んぼの中を流れる川にはドジョウやウナギ、川の周辺にはオニヤンマやギンヤンマがいて、道路沿いの家の壁には夜にはクワガタやカブトムシがくっついていました。それは一日中遊んでも遊び足りない豊饒な世界でした。

今は帰省しても、子供にも大人にも居場所がありません。経済的に復興することはもちろんですが、生き物が溢れる海や川、ふるさとの味を味わえる食堂やお店屋さん、旧友と酒を酌み交わせる飲み屋など、遠くから里帰りした人達の居場所を作ることも重要なことだと思いました。

防波堤の上には釣り人がずらりと並び、隣で釣っている若者に

「どこから来た?」

「東京です。父の実家は中町です」

「中町?中町のどご?」

「津波前は床屋をやってたそうです」

「おお!トゴヤの孫が、親父は元気が?」

なんて会話が成立する環境になればいいなと。お墓参りに行ってごはんを食べたら帰るんじゃそんな会話もありえませんからね

津波で町を離れることを余儀なくされた人達にとって、田老がずっとふるさとであり続けられるようにしなければならないと思いました