物事には、良い面も悪い面も両方はらんでいる。
ある事象をとって、95%は悪いと思う要素であったとしても、残り5%は良いと思える部分があったりすることもある。
その比率によって、この先それを選ぶか選ばないかを決める基準になる。
企業についても、同じことが言える。
そもそも、100%自分とはミスマッチだと最初からわかっていれば、その時点で入ることはない。
だが、入ってみないと分からない部分も多い。
100人いて、元々の社員97人と新人同期3人がいたとして、
前者は異常な企業風土に染まりきった、企業人としてオカシイと感じる人たちで、
後者は新人なために、その異常な企業風土に染まってなく、世間一般の常識人でまともだと感じる人たちであったとすると、
まともな考えの持ち主であれば、新人の方に望みを感じる状況になる。
自分も後者の存在には希望が持てる。
だが、包括的にみると、
やっぱり組織を成すのは、その元々いた97人なわけで、
新人に権限などない。
私は、どうしても言わずして我慢できないと思ったことは、相手が誰だろうと、
指摘しないと気が済まないタチのため、
直接疑問に思ったことは、自分で聞きにいく。
自分の意見も勿論持っているため、発言もする。
だが上記のとおり、
それを「はいそうですか。わかりました。」と甘んじて聞き入れて貰えたり、
真っ当な質問さえ、はぐらかされて答えてもらえなかったり、
前述の組織においては、異常な対応を受けたりもあった。
結局、3人の望みがあったとしても
組織視点からすると、いるようでいないのと一緒で、
組織を成す元々の97人でその企業は出来上がってしまっているのだ。
聞く耳がない裸の王様社長だと尚更、企業体質は変わる見込みはゼロに等しい。
私はせっかく一緒の職場になった同期とは働いていきたかったが、
その倫理観の著しく欠如した企業の一員としては、働きたくはなかった。
良い面と悪い面の比率で、どちらが勝っているのか判断して、
どちらか一方を選択したら、他方を犠牲にすることになるという現実に、
今少し物悲しく思ったりしているが、
でも、これもまた運命だったのだと。 また縁があれば、どこかで出会えるものだと信じて。。
短い間だったにしても、考えを共有できた人がそばに一人でもいれば、
(その方は、元々幹部採用で近々組織の上位まで行くポジションの人。常識人且つ人に慕われる人)
人間ほんと、救われるもんだなと実感した。
自分はもう別の道を進むと決断し現段階に至っているが、
「味方になってくれた人が一人でもいた」ということを胸に大事にしまいこんで、
今後もさらに、
その方の期待に応えていけるように、どんどん精進を重ね、
信念を貫き、
がんばっていかないといけない。