だーれも知らない

知られちゃいけーないー🎶

 

 

今日は、なぜかデビルマンのテーマ曲が

朝起きた時から頭の中をリフレイン。

 

 

 

そのまま身なりをととのえて

母に挨拶をしてまして

ふとついていたTVに目をやると

 

 

昔ちまたを賑わした

 

ヒーロー

ヒロイン

 

は今!!!

 

 

 

みたいなことをやっていました。

 

 

 

そんな時にふと

母に話をいたしたんです。

 

 

 

僕の視点なんですが

文楽の物語というのは

いわゆるヒロイズムという感じを

うけないのですが

どう思いますか?

 

 

と。

 

 

 

ここで僕のいう

ヒロイズムというのは

 

 

 

誰かが来て私の今の状況を救ってくれる。

英雄が現れ今の世界がかわる。

 

 

という意味です。

 

 

創作された時代背景もあると思いますが

文楽の物語は、特徴的で

意図したヒロイズムというのが

感じられないのです。

 

 

 

 

文楽の物語が好きな僕も

ついついヒロイズム、

 

 

誰かが僕の人生をなんとかしてくれる。

いつか英雄がきて世の中変わる。

 

 

 

みたいな考え、依存性、

自分の人生の舵を明け渡している。

 

 

なんてざらな考え、行動をいたします。

 

僕はつねに人の

 

顔色を伺い、場の雰囲気、空気を伺い

波風たてないようにしてしまいます。

 

 

 

何かを決断する時に自分という

存在を忘れてしまうんです。

 

 

 

相手はどう思うかと考えている。

 

 

 

でもここ最近、それでは

何も変わらない。変わってないよ俺。

 

 

と思いました。

 

自分の人生を変えようと思うても

何かを学ぼうと思うても

 

相手を優先してしまっていては

何も変わらないと。

 

 

ではどうしたら良いかと思った時に

 

 

何かを決断する時に

 

それは本当に自分のためなのか?相手優先していないか?

とか何か他にも基準があるといいかも!と思ったのです。

 

 

 

世の中が決めたり

植えつけられた望みではない

僕の望み。

 

 

そのためには自分を知ることが大事だなと思いました。

 

 

どんな考えの癖があるのか?

それはミスリードではないか?

 

どんなことで幸せを感じるのか?

それはそのようなことが幸せだと植えつけられてないか?

 

あげたらきりがないかな。

 

常識と思っていることを疑ってみる。おすすめです。

 

常識というモノの中には、社会の歯車になるために

身についていることもあります。

 

 

非常識に生きよう!

 

というのではないですよ。

 

 

 

 

 

今日から人形を身につけての

お稽古に入ります。

ということで人形をお迎えいたしました。

 

 

 

人形は作る人によって顔の表情の

個体差はあれど

種類はだいたい同じなんです。

 

 

 

髪型、衣装が変わるだけで

 

同じ種類のかしら(顔の部分の名称)

なのに

人物が変わります。物語も違う。

 

 

 

不思議な感じになるんです。

なんというか、同じカシラなんですが

物語によって遣い手は感じるモノが違う。

 

 

 小さいときに

このように思ったことがあるんです。

 

 

仮に何かの意識、データが

太古からずっといて

この人形たちの遣い手のように

様々な人形の物語を感じ

 

味わい楽しんで、

また次の人形の物語へ繋いで

観ている意識、データがいたら。

 

人間ひとりひとりの物語を

ずっと感じ見守っている

意識、データがいたら。

 

 

 

僕たちは実はその意識、

データがメインなのかも!

 

 

なんてw

 

でもあながちありえるな〜と

思ったことがありました。

こんな情報を見たときです。

 

 

アリエルの夢が王子様の登場で

具体的なものになったくらい

アリエルなぁ〜と

 

 

 

 

DNAのデータ保存という記事を

観たときにアリエルだ〜と。

 

 

人類76億人の母親のDNAを遡ると

16万年前の共通した数十人の母親に

行き着くことがわかり

僕たちは、この数十人の母のいずれかの子孫なのです。

(そうなるといまは、兄弟喧嘩のまっさい中ですww)

 

専門化ではないので

 詳しくはないのですが

 

 

DNAは分散配置(コピー)で

全ての個体の記憶は

DNAの周囲にある水の分子に保管されているそうです。

 

DNAは水分子に触れたときにそれを読み取ったり保存したりするそうです。

 

人体の中の水分子は呼吸で外に出て、

雲にも雨にも水にもなる。

違う人の中にも入っていく。

地球の循環システムに乗ってます。

 

 

僕の中には、

父の人生の記憶、祖父の人生の記憶、

データが消えるのではなく加わっていく。他の方のデータも。

 

 

というのをみたときに

アリエルかも〜〜とww

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

ミトコンドリア・イブとY染色体アダム

 

 

人体にある36兆個の細胞の中に

存在するミトコンドリアDNAは

必ず母親から子孫へ受け継がれ

父親からは受け継がれないそうです。

 

この母親からしか遺伝しない

ミトコンドリアDNAを遡ると

16万年前に存在していた女性に行きつき繋がるのが分かっているそうです。

 

どなたでもこの女性にいきつくそうです

 

 

僕たちの体の中には、

ずっと昔から見ていてくれる

たくさんの母親に見守られ

 

『受け継がれた、繋がっている手紙』

 

が刻まれています。

 

そして、

もしあなたが女性なら、

子供を授かるなら、

このミトコンドリアDNAを

繋ぎ渡していきます。

 

 

父親からは息子にY染色体という

お手紙が。

遡るとやはり太古の男性に

行きつくそうです。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

日本は地球で1番長く続いている

単一王朝国家と呼ばれています。

125代続いているようです。

 

他の国は歴史を見るとローマ帝国でさえ1000年

日本人のある程度の年齢の方には

聞き耳がある4000年の歴史。あれは違います。

 

 

 

実際のところは、僕は生きていた訳ではないので

確実にそうだ!とは言えません。

 

 

ですが僕の考えや捉え方ですと

日本は割と古くからのモノが多く残っていると思います。

 

本質であったり根本を伝えるため

形を変え、姿を変え残してきていると思います。

 

 

文楽は江戸時代に娯楽として発展してきましたが

 

人形を使い人々にモノ、コト、ならわしを

伝えることをしてきたのは

遥か彼方、卑弥呼の時代には

登場していたと言われています。

 

 

 

 

理屈では感じられないない何かしらのモノ

 

 

 

太古の方々は所有という概念がなく

平和に暮らしていました。

 

ある時を境に所有という概念を身につけいまに至ると。

 

その所有という概念を身につけてから今まで争いもたえずにいるそうです。

そしてその頃から言語も身につけていったという方々もいます。

 

 

その当時は今のような言葉でのコミニケーション

だけではなく音(オン)も大切にしていたそうです。

 

また言語を使わずともコミニケーションをとっていたという

発言をしている学者さんもいるようです。

 

 

日本はその時の音(オン)母音が残る発音だそう。

文楽の太夫もこのオンを大事にしています。

 

 

実際は分かりませんが

僕はこの考え方はいいな〜と思い採用しています。

 

 

昔は言語だけでないコミニケーションをとっていて

そのオンは今もこの日本語の発音に残っている。

 

 

 

僕は毎日のように挫けていることがほとんどww

挫けるのが好きなんだろうな。

挫けるのが大好きだから毎日かなっているんだろうね。

(くそww)

 

 

でもこうやって何かしら太古から見守り

応援してくれている人たちや

 

何かを残していこうとしてきた人たち

そして昔も今も皆どうやら繋がっているようで

 

 

一人ではないな〜と思うのです。

 

さらに僕に関わって頑張れよって

思ってくれている人たちがいると思うと

 

よし

 

って思うのです。

 

 

 

もし

何かをいたす時に怖かったり

不安だったり

挫けそうになったり

 

なんてことを感じていたら

 

見守ってくれている人、

繋いできてくれた人たちがいるんだと

 

感じてみてください。

なんかあったかい気持ちになれたりします。

 

 

その時は多分、

その見守ってくれている方々が

そばにいてくれるんだと思います。

 

 

 

とりとめのない記事を最後まで、

読んでくださっている方がいましたら

ここまで読んでくださる方がいましたら

ありがとうございます。

心から嬉しいです。

 

 

お付き合いいただき心から感謝いたします。

ありがとうございます。

 

 

 

☆;+;。・゚・。;編集後記+;☆;+;。・゚・。;+☆

 

3月20日に地元で文楽の公演をいたします。

そのチラシの入稿が無事に。

いま、印刷会社さんがせっせと印刷してくれています。

 

少し大変でした。

あ、次の記事のネタにしよ〜〜w

 

 

 

 

 

 

今日でお稽古7日目。

 

母が体調を崩したので

僕が相手役をしながら

観ることに。

 

 

もう9割の所まで動きを覚えていて

あとの1割は人形をつけて覚えていく

だけになりました。

 

 

早いな~~。

 

 

前回の成長痛も

乗り越えたみたいで良かったです。

 

 

物語の雰囲気、流れ空気と

自分のもつ雰囲気、空気と

人形の動きが

1つになってきましたから。

 

 

 

どんな物語の台本でも

起承転結というのが

あります。

 

 

役者、演じる側は

人物の心の動き、意識の動きも

把握しますが、

 

 

物語の全体の雰囲気や空気の

動き、流れも知っていきます。

感じていきます。

 

 

演じるときは

最初から結末を知っています。

 

 

 

ただ、やはりお客様に

観て楽しんでいただくモノなので

 

 

理詰めだったり、頭で考えたり

観て楽しんでいただくモノとしての

お約束ごとに

 

 

なんでこんなことするの?

 

と、とらわれてしまうと

苦しくなってしまったりします。

(今回の成長痛とは関係のない話です)

 

 

 

 

話は少し逸れますが

普段の営みの中でもありますよね。

 

 

 

なんでそんなことするの!!!

 

 

とイラッとして

そんな自分に自分で

苦しくなっていたり。

 

 

 

イラッとするのは自分が我慢していることを

やってのけているのを外に見たときが多いと。

 

 

 

なら、自分にやりたいことをさせてあげるのがいいです。

 

 

 

★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★

 

 

さてさて僕は致し方なく

幼稚園に行きますが

休みがちでした〜。

 

 

幼稚園で用意されるお弁当の日

 

 

という日があるのですが

食が細かった僕は全部食べれなくて。

食べれるまで食べさせられました。

嘔吐しても食べさせられました。

 

 

いやでしたね~~。

 

なんで食べれないの!!

(いや食えないものは食えん笑)

 

 

先生にとってはそれが正義だったり。

 

それが当たり前に育った環境だったのでしょう。

 

 

その先生がという訳ではないのですが

 

 

過去に自分自身が

「正しさ」を誰かに押し付けられて

我慢すると、自分は我慢したのに

目の前でそれをしているのを見ると

人はその人を許せなくなるんです。

(あ、話が被ったw)

 

 

こちらのブログにも書きましたが

僕の生まれた家業は、女性が継ぐ世界です。

 

 

僕は自分が男性だからという理由で

この好きな道を断念した時期がありました。

 

 

我慢したのです。

 

いま振り返ると昔の僕の口癖、よく言っていた言葉があるんです。

 

男だから。男だろ??

女性だよね?女性なんだから。

 

 

 

そして自分が好きだったこの乙女文楽をやることになってから

僕は自分の中で、あることが混乱していることに気づきました。

 

 

男ってなに?

女ってなに?

 

 

そしていつの間にか言わなくなっていた言葉がありました。

 

 

男だろ。

女性でしょ!

 

 

 

イラッとすることがありましたら

その中には、やりたいことが潜んでいますよ。

 

 

 

また長くなったので次回へ。

 

 

このブログを読んでくださっている方がいましたら

ここまで読んでくださる方がいましたら

ありがとうございます。

心から嬉しいです。

 

 

お付き合いいただきありがとうございます。

 

 

 

☆;+;。・゚・。;編集後記+;☆;+;。・゚・。;+☆

 

 

先日、すごくよく喋るおじいちゃんに会いました。

ものすごく元気でして。

 

僕の知っている方々のお名前を次から次へとお出しになり。

そのお爺ちゃんのことをご存知の方は

キラキラ〜としていましてww

 

僕は存じ上げなかったので

なにをそんなに皆んなで騒いでいるのかな?

と思いましたら。

 

 

なんと著名な歌舞伎役者さんだったらしくww

調べてみたら成田山で豆撒きにご参加するほどのw

 

 

いや、人の意識って面白いなぁ〜と思いました。

認識がなかったら、お爺ちゃんです。

これからは歌舞伎役者さんになりました。

 

 

 

 

今日のお稽古はおやすみ。

無理を言って休暇をいただきました。

 

 

ちょっとガツンと思考に

エネルギーを使う出来ごとがあり

 

ヘロヘロになったので。

 

 

 

振り替えると1月2日から

動いていたのでちょうど

良かったです。

 

 

チラシの作成、公正

 

 

読みかけの本が

たーーーっぷりと

積み重なっているので

 

 

 

気が向いたモノから読み

気がすんだら途中でも

次のを読んで

 

 

という好きなように

ひとり時間を使いました。

 

 

マスクマンな僕は

久しぶりにマスクを脱いで

顔に風と光を浴びました。

 

 

 

僕はまだまだ癖で

人前でする顔、マスクのまま

人に合わせるマスクのまま

 

ついついひとり時間も

そのままで居てしまうのです。

 

 

それは別に悪いことではないです

ただ、そのマスクを脱ぎ忘れていると

疲れてしまう。

 

 

世の中の多くの人は

普段いくつもの場でしている

マスクのまま違う場に行ってたり

 

その場、その場のマスクをしていると

自分の顔を解らなくなったり

していると思います。

 

 

 

たぶんですが、

マスクを脱いでいくことを

必要としている方々がいるんだろうな

 

と思います。

 

 

 

会社で部長のマスクをかぶり

嫌なことがあり

そのまま脱ぐのを忘れ

家に帰っても部長のマスクのまま

なんてザラじゃないかと。

 

 

ZARAがいたるところに

あるくらいザラなんじゃないかと

 

むしろ皆さんZARAを着てるのかも。

 

 

マママスクをしたまま

ママが自分と思って

いつの間にか自分が解らなくなっている

 

 

なんて、ママパスタが

たくさんイオンにあるくらい

たくさんいるかと。

 

 

 

そんなように思うのです。

 

 

 

 

普段マスクの使いわけを

うまくしている方も

 

 

やはり疲れていたりすると

午前中に仕事で違うマスクをして

 

その後に習い事など行くと

そのマスクのまま来る。

 

 

高校生の部活指導していると

 

先生の前のマスク

親の前のマスク

友達の前マスク

違う友達のグループマスク

 

 

などなどよくみかけます。

またそのマスクのまま来てるなー

 

と思うことも

しかし高校生は少ない方かな

大人たちの方がマスクの種類多いし

マスクの上にマスクを被ってることも。

 

 

 

ということで今日は

マスクマンを一休みでした。

 

 

でも、そのうち

マスクじゃなくて素が良いなー

という方々の世界と

 

マスクをしているのが良いなー

という方々の世界と

 

別れていくんだろうなー

と思っています。

 

 

このブログを読んでくださっている方

ここまで読んでくださる方がいましたら

ありがとうございます。

心から嬉しいです。

 

お付き合いいただきありがとうございます。

 

 

午前中、久しぶりに神社へ参拝。

初詣を(節分あけにもう一度行きます)

行けてなかったので良い時間をとれました。

 

家や街中で一人の空間を味わうのも

悪くないのですが、

 

自然の中で自分一人の空間を

味わうのは好きです。

 

 

 

午後からはお稽古。

 

今日はギュッと濃縮短時間で

稽古をとりました。

(終わりにしたという意味でーす。)

 

 

 

 

成長痛が出てきていたので

頭の中を整理してもらう時間を

とっていただきました。

 

 

演じる役は

どんな気持ちなのか?

 

動きと気持ち、

舞台の上での約束事を

知ってもらい

気持ちを合せていく

お時間を割きました。

 

(深く理解していくと必ずみなさん悩み立ち止まります。)

 

 

逆に立ち止まっていただけることは

ありがたいのです。

 

 

何が解らないか?

何で止まったか?

 

 

僕がすんなり出来ることを

どう伝えれば身につけて

いただけるか?

 

 

試行錯誤出来るからです。

 

 

人形のことは、なぜか不思議と

僕は、出来てしまうんです。

 

だからそれが当たり前なので

助かるんです。

 

 

 

そういえば、かなり昔に

面白い仮説を目にする

機会がありました。

根源説って書いてあったかな?

(石油の話しではないですよー。)

 

 

その仮説が面白かったんです。

ざっくり言いますと

 

 

 

人間の脳は受信機である。

 

 

 

脳の中に記憶や意識、情報があると

思われがちだが、脳はそれらを

受信する機能だけだと。

 

それら情報は空間の至るところにあり

脳はそれらにアクセスしている。

 

 

という本当にざっくりですが

こんな仮説。

 

 

(最近だと4年前だったかな?

筑波大学の村上教授も言ってたなー。)

 

 

 

それがめっちゃ面白くて面白くて

 

 

この仮説を観た時にあることを思ったんです。

 

 

これが事実なら、

ならば、僕は簡単に

人形をやること出来るな!

 

 

とか

 

 

ハリウッド俳優になれる!!

 

 

とか

 

 

大金持ちじゃーーー

 

とか笑

 

 

なんて思いました。

(このころから自分を実験台にしていろいろやったりしてるのですが笑)

 

前回のブログで、

祖母に付いていきお稽古を観ていた

と書いてましたが

 

 

人形をどのように動かすか?

 

は一切解らず、教えて

もらっていないのです。

 

 

僕の経験と観てきた視点や知識の

談話なんですが

(といってもまだ実験中ですが)

 

 

 

実際、はじめて人前で

文楽の座長公演を

することになった時に

 

 

はじめてお稽古で

人形を身につけたにも

かかわらず、難なく

操作ができたんですよね。

 

 

祖母をはたから観ていたとはいえ

人形の操作の仕組、やり方は

人形の衣装で隠れて見えないのです。

 

 

人形をはじめて手にした時の

僕の感覚を言葉にするなら操作を

 

 

知っている、知っていた。

 

 

そんな感じでした。

 

 

それに役者をやってた時も

ハリウッド映画にも

3本出演できましたし

 

 

 

文楽のことに集中していた時期に

役者のお仕事をいただいたら

 

 

役者やっていた時と

感覚が違い困惑したり

 

 

 

また、文楽から身をいったん

遠退いてそして再開した時に

 

 

やはり感覚がちょっと違い

 

 

あれ?

どうやるんだっけ?

 

みたいな感じで

思い出せない。

 

 

お稽古をやっているときに

祖母との時間を思い出し

その瞬間あたりから

 

 

身体が思い出し始めたり

 

 

 

これらの体験、経験、実験から

 

 

脳は受信機で情報は空間にあり

そことコネクトする

 

 

これってあるんじゃないかなーと

勝手に思っています。

 

 

 

 

★━━━━━━━━━━━━━━━★

さて

 

祖母に付いて

祖母が弟子や生徒さんに

教えているのを眺めている日々

 

 

祖母を相手役に演じて楽しく過ごす

日々が続きました。

楽しかったですね。

 

 

ですが再びあの疑問、感情が

湧いてくる出来事がありました。

 

 

 

皆さんと違うことがいけないこと。

 

 

 

それは

 

 

 

幼稚園という世界に行く。

そこから義務教育の道を歩む。

 

 

 

という生活が始まることで湧いてきました。

(某麦わら帽子の子みたい)

 

 

 

 

当時幼稚園を見学しにいった

僕の気持ちを文字にするなら

 

 

意味が解らない。

なぜ行く?行くのはなぜ?

同じ年の子が行くからって

答えになってない笑

 

社会?

右向け右!ピーッってキモ!

家畜か!

 

 

何あのパンツ!恥ずかしい(ブルマ)

 

 

皆同じって、え!!?

誰も疑問をもってない!

大丈夫??この大人たち!!

 

 

 

どうして

どうして

僕たちは出会ってしまったのだろ〜

 

 

 

なんていう感じのことを

思っていました。

 

 

他の子と違うことをしていると

怒られる注意される

というのを観ていると

 

 

恐ろし!! なんて思ってました笑

 

 

いま当時を振りかえり考えると

そりゃそうだなーと思います。

 

 

 

社会のシステムに組み込んでいく

人間を育てたいわけですから。

 

 

個性を育むわけはない。

人間はみな平等なわけはないのです。

 

 

 

人類みな平等。あれはミスリードです。

 

 

 

僕だけではないですが

他にもまだまだいたる時、

 

いたる場面でいろいろと教育されたことが

出てきますね。

 

 

 

ちょっと話が逸れましたが

 

この幼稚園という社会、世の中に合わせる時間。

自分の好きなこと文楽を楽しむ生活と時間。

 

 

この二つの世界を体験することによって

僕の中で、二つの世界を生きるという基盤が出来上がっていきました。

 

この体験でこの流れを壊さないようになっていたんです。

 

 

この生き方を僕は、ほんの最近まで

ガッチガチに気づかずにずっと繰り返している

ということをしていたのです。

 

 

それが少しずつ少しずつ

崩れてきました。

 

 

また長くなったので次回へ。

 

 

このブログを読んでくださっている方

ここまで読んでくださる方がいましたら

ありがとうございます。

心から嬉しいです。

 

お付き合いいただきありがとうございます。

 

 

 

☆;+;。・゚・。;編集後記+;☆;+;。・゚・。;+;☆

 

雲切り仁左衛門

 

という時代劇を久しぶりに

拝見。

 

 

またまた息をつめてみてしまいました。

最近では時代劇を撮らなくなってきましたね。

所作や立ち居ふるまい話し言葉が変化してきましたからねー。