イケメン戦国 〜明智 光秀〜

本編 ご褒美ストーリー②

【辛い唇】


ことのあらましを語り終える頃には、虫の音も聞こえなくなっていた。

光秀:……そうだったか

つっかえつっかえ話す私の言葉に辛抱強く耳を傾けながら、光秀さんは低い声で、相槌だけを口にする。

:……こんな気持ちになるなんて、想像もしてみませんでした

光秀:……

寄り添って座り、光秀さんが私の背中を撫で続けてくれている。

(やっと……涙がおさまってきた)

手のひらの形を着物越しに感じ、掠れ切った声を絞り出す。

:元の時代で、私はぬくぬく暮らしていて、あんな扱いを受けたことがなかったんです

光秀:……そうか。五百年後は、よほど、いい世なのだな

:虫けらみたいに扱われたのに、私……何も言い返せなかった

光秀:………

:悔しいです……っ。絶対に……許せない

目元に熱がぶり返してくる。

雫がこぼれ落ちるたび、光秀さんの差し出す手ぬぐいが、そっと吸い取ってくれる。

:あの人たちは間違ってる。でも、あの人たちの住む世界では……私はどうあがいたって、人間になれないんだと、思いました

光秀:舞、それは………

:乱世を生きるたくさんの人が、こんな思いをしてるなんて……

光秀:………

(一握りの偉い人以外の、私と同じ一般の人たちは、価値がないみたいに扱われて……それが当然なんだと、思い込まされている)

私が『義昭様』に浴びた眼差しは、今日の昼間、舞台上から注がれた視線そのものだ。

人のいい一座のみんな、『特別なお客様』をもてなそうと詰めかけた村の人たち、そして、光秀さんのことも………あの人たちは同じ人間だと思っていない。

:……あんまりです!

光秀:こんな時でさえお前は、他人の心を思うんだな

肩に腕が回り、引き寄せられた。

私の濡れて湿った頬と、光秀さんのひんやりしていて滑らなか頬が、ぴったりとくっつく。

光秀:善悪に境などないと考える俺が断言する、お前の怒りは正当だ

(光秀さん……)

光秀:他人の価値観に飲み込まれてしまうことはない。たとえ相手が何者であろうとだ。義は、人の数だけある。貴人の連中の掲げる義もあれば、信長様が貫こうとしている義、秀吉の少々暑苦しい義もな

光秀さんが冗談めかして眉を上げて見せるから、泣きながら少しだけ笑みがこぼれた。

光秀:そして舞。お前にはお前の義がある。そうだろう?

:………っ、はい。あります

いつの時代も、どんな理由であれ人の命を奪うのは間違ってると、信じたい。

出自や性別を理由に、人の価値を誰かぎ決めつけ踏みにじるのは、許せない。

(私の考えが、いつでもどこでも正しいこととして通用するわけじゃない)

戦場で光秀さんが敵将を撃ち抜いた時、そう知った。

(自分が絶対正しいと思ってても、簡単に揺らいだりする)

この手で引き金を引いた瞬間、身体を駆け抜けた高揚は、忘れられない。

(でも……)



光秀:人殺しに礼などするな。俺は人を殺め、そうすることでお前と生き抜いた。お前はその現実に傷ついた。割り切れないんだろう?だったら、そのままでいればいい


(光秀さんはあの時、そう言ってくれた)

平和な時代で生まれて暮らし、乱世での激しい日々を駆け抜けながら、懸命に育ててきた私なりの義を、他の誰でもない私が、放り出すわけにはいかない。

光秀:善悪の見分けのつかない中で、義と義がぶつかり合うのが、この乱世だ。だからといって、何人たりともお前の尊厳を冒すことは許されない

低く潤った言葉が、身体じゅうに沁みていく。

:……もう、泣きません。あの人たちの言葉に、二度と負けません

(きっとこの先、光秀さんの言葉が私を支えてくれるから)

自分を信じたいと思った。信じられる自分でありたいと思った。

光秀:強い子だ。よしよし

光秀さんが囁きながら、私の頭を何度も撫でる。

(………っ、こんなふうにされたら……)

:また、泣いちゃうじゃないですか……

光秀:何を構うことがある?俺はお前の夫だぞ。お前の泣き顔を見ていいのは、俺だけだ

:光秀さん……

力強い眼差しが、凍えた私の身体を溶かす。

ズタズタになった心を覆い、手当てしてくれる。

そして……彼の裏切りを知ってから、かたくなに距離を保とうとしてきた私の努力まで台無しにした。

:今の言葉も、してくれたことも、全部………夫婦のフリ、ですか?

光秀:………

:こんなふうにされたらどうしたって……私はあなたを、信じたくなってしまいます。どうしたって……あなたの中に、優しさを見つけてしまう

あなたが注いでくれる感情が優しさじゃないなら、何だというんだろう。

光秀:……………

目の奥が一瞬、揺れた気がしたのは、気のせいだろうか。

光秀:……もう眠れ

(ここまで言っても、自分の本音は、はぐらかすんですね……)

光秀さんはテキパキと布団を敷くと、そこに私を寝かせた。

濡れた手拭いを用意し、腫れぼったい目元にあてがってくれる。

(冷たい……。でも、優しい。光秀さんと、同じだ)

私が泣き止むのを待って温もった手拭いを取り上げると、光秀さんが立ち上がった。

光秀:それじゃ、ゆっくり休め

(っ、行っちゃうんだ……)

ハッとして見上げた私と目が合うと、光秀さんは、くす、と口元をほころばせた。

光秀:仕方ない。泣き虫の妻に、添い寝してやるとするか

:っ、すみません、私、つい……

光秀:いいから。………おいで、舞

私の声を遮って横になると、光秀さんは片腕を広げた。

おずおずと、その肩に頭を乗せる。

今夜は、そうすることが自然に思えた。

(肩の高さ、ぴったり……)

:あの……重くないですか?しびれちゃうんじゃ……

光秀:気にするな。銃やら何やら担ぐよりは何十倍もマシだ

(馬鹿みたいな質問しちゃった……。この人は身体を鍛え抜いてる強い武将なのに)

(信長様の左腕だとか、裏切り者かもしれないだとか、そんなの全部忘れてた)

腕を背中に添えられ、促されるまま身を寄せる。

ぴったりくっついていないと、小さな布団からはみだしてしまうから)

光秀:おやすみ。舞。よい夢を

:光秀さんも、おやすみなさい。それから……ありがとう

光秀:…………

光秀さんは何も言わずに、私の頬にキスをした。

ごく当たり前のことのように、私は目をつむり、それを受け止めた。

(あったかい……)

光秀さんを近くに感じる。

身体だけじゃなく、心までも。

(……もう、大丈夫だ)

光秀さんの手が背中を撫でるたび、損なわれたものが再び、私の中に降り積もっていくのがわかる。

鼓動の音を聞きながら、私は穏やかな眠りに落ちた。

穏やかな寝息を立てる舞を、光秀はまんじりともせず、見守った。

頬に口付けた時、唇に残ったかすかな塩辛さを、舌でなぞり確かめる。

光秀:さて、可愛い妻を泣かされた借りは、返さなくてな

光秀の両目が、闇の中で、冷たく鋭い光を放っていた。