イケメン戦国 〜豊臣 秀吉〜

本編 ご褒美ストーリー③

【あらかじめ失われた恋】


織田軍が安土を発つ前夜、私は風呂敷をひとつ抱え、秀吉さんの御殿を訪ねた。

秀吉さんは驚きながらも、私を部屋へと通してくれた。

秀吉:どうしたんだ、こんな時間に

:急にごめんね。少しだけ時間をもらえるかな

秀吉:それは全然構わないけど、遅くにひとりで出歩くな。用があるなら、俺をお前の部屋に呼びつければいいだろ

:そんな厚かましいことできないよ

(過保護なのは出陣前夜でも変わらないんだな)

いつも通りの優しさが今日はいっそう胸に沁みる。

秀吉:で、何だ用って

:これを秀吉さんに渡しに来たの

風呂敷包みを解き、縫い上げた着物を取り出す。

翡翠色の生地が、行燈の明かりの中に美しく映える。

秀吉:この着物は……

:たくさんお世話になったお礼。ささやかだけど、受け取って

(気に入ってくれるかな……)

秀吉さんは驚きがさめない顔で着物を手に取り、じっと眺めた。

秀吉:少し前に、一緒に反物屋へ行った時に買ってた布か……?

:うん。秀吉さんに似合いそうだと思って

秀吉:すごくいい品だ。見栄えもいいし、着心地も良さそうだし、何より仕事が丁寧だ短期間でこれを仕立てるために、無理しただろ

:ううん、全然

秀吉:嘘つくな。目元、赤くなってるぞ

(……)

伸びてきた指先が、目元のふちをなぞる。

触れられたそばから、ぞくりと肌が甘く震えた。

秀吉:夜更かしは身体に悪いだろ?戌の刻には布団に入れ

(戌の刻ってたしか、夜の八時前後だよね…?)

:子どもじゃあるまいし、そんなに早く眠れないよ

秀吉:寝不足で目を赤くしてる奴に口答えする権利はない

……わかった。今日は早く寝る

別れの前夜だからか、小言さえ耳に甘い。

秀吉:ありがとな。大事に着る

:大事には、しなくていいよ

秀吉:?

:明日出陣する時に、着ていって。身動きしやすいように仕立てたから

秀吉:甲冑と一緒に着こめって言いたいのか?

:うん、そういうこと

秀吉:できるか、そんなこと。お前が縫い上げた着物を無造作に扱えない

:汚れても破れてもいいの。この着物は秀吉さんを少しでも守るために作ったものだから

秀吉:守るため……?

:そう。秀吉さんが一番大変な時に着てて欲しいの

(どんなにそばにいたくても、一緒にいられないから)

:お願い

思いを込めて、秀吉さんをじっと見つめる。

秀吉:わかった。納得はいかないけど、俺には、お前の気持ちが一番大事だ

(よかった……)

:寸法が合ってるか確かめたいから、一度着てもらってもいい?戦に行く時と同じ格好をして調整させて欲しいの。私も着替えを手伝うから

秀吉:了解。じゃ、頼む

秀吉さんの脱いだ上着を、私は背中からそっと引き取った。

部屋に用意された甲冑を秀吉さんが身につけるのを、黙って手伝う。

(一緒にいられるのは、今日が最後……)

広い肩に着物をまとわせながら、ある記憶が脳裏によみがえった。


町娘:秀吉様は、戦場で喜んで命を捨てるような男でしょ?だから本気になったらその分、帰りを待つ時間に耐えられなくなるってこと

あなたも気をつけてね。あーんな困った男に本気になったら大変よ?


(あの時の忠告、無駄にしちゃったな。帰りを待つ辛さが、今ならよくわかる)

(でも私は……待つこともできない)

(待つどころか、秀吉さんが戦から戻ってくる頃、この時代にいないかもしれない)


:私は文は書かない

秀吉:?

:文を出しても、返事がくるまで待てないから戦が終わったら、秀吉さんに一番に逢いにいくよ。もし待ってても帰ってこなかったら……逢えるまで探しに行く

秀吉……っ ったく無茶なこと言うなよ


(実現できもしないこと、言っちゃったな…)

けれど、衝動に任せて告げた言葉は、あの日、あの瞬間の、精一杯の本心だった。

仕上げに帯を締めながら、私はきゅっと唇噛んだ。

:………どう?

秀吉:ぴったりだ。着心地も抜群だ

:よかった。思った通り、似合ってて、かっこいい

秀吉:こら、褒めても何も出ないぞ

:褒めてない、本心だよ

秀吉:あのな。どこでそんな口の利き方覚えてきたんだ?

:うーん、秀吉さんからじゃないかな?

秀吉:まったく、口が減らないな

笑って、秀吉さんが私の頬をふにっとつまむ。

私も笑おうとしたけれど、上手くいかなかった。

:秀吉、さん……

秀吉:……?

(『頑張ってね』とか、『気をつけて』とか……何を言っても場違いな気がする)

(秀吉さんは命を捨てる覚悟で、戦に行こうとしてるから)

視界が潤む中、触れられた大きな手のひらに自分の手をそっと重ねる。

:ずっと、この手に触れられる距離に、いられたらいいのに……

秀吉:……

(ずっと、この手を離さずにいられたら、どんなに…)

熱いものがせり上がってきて、喉を塞ぎ、思考が途切れる。

秀吉さんの手のひらが、優しく私の頬を包み込んだ。

秀吉:俺だって、そう思ってる

:……嘘つき

(信長様の方が、大事なくせに)

秀吉さんは否定を口にせず、ただ、私をそっと抱きしめた。

淡い香りに包まれて、くらくらする。

(秀吉さん…)

広い胸板も、背中に回されたたくましい腕も、まとう香りも、甘ったるい声も、少し高い体温も……この人の全部が、好きで好きで堪らなくて、そう思ったら涙が出た。

(……)

そっと顎を掬いあげられ、大好きな形な瞳が、間近に迫る。

秀吉:また、目、赤くなるぞ

:……別に、いいよ、そんなの

秀吉:俺がよくない。残していくことが苦しい相手なんて、初めてなんだ

(……?)

:どういう、こと……?

秀吉:……何でもない。今のは、忘れろ

:……忘れられるわけないよ。どういう意味か、ちゃんと言って

秀吉:いいから忘れろ

:!絶対、絶対忘れない…!だって私は秀吉さんのことが、

秀吉:ああもう

:!?………

私の抗議は、口づけにさえぎられた。

(秀吉、さん……?)

疑問符が頭を飛び交って、すぐにそれどごろじゃなくなる。

:んん、ぁ………

唇をやんわりと割り、舌先が忍びこむ。

とっさに逃げようとした私の舌を絡めとり、少しずつ、溶かしていく。

(秀吉さんも、私のこと……?)

言葉の代わりに、唇から直接、想いを注がれている気がした。

(……私も、好き)

(あなたが、大好き……)

口づけに応えながら、身体が溶け出しそうで、立っているのもやっとだった。

(時間が、止まればいいのに)

唇が離れたあと、荒い呼吸が整うまで、私達は黙ったまま動けずにいた。

見つめ合いながら、背中に回された腕が少しずつ緩み、切なさが胸に忍び込む。

秀吉:……今のも、忘れろ

:……………

少し苦しげな甘い声で囁かれ、また涙が溢れた。

(ずるい)

(どうして……言葉ではなんにも、言ってくれないの?)

忘れろなんて言うくせに、秀吉さんの指先は優しく私の涙を拭う。

(でも、私に秀吉さんの気持ちを問い詰める資格はない。黙っていなくなるつもりなんだから)

(私だってあなたに言えない。明日いなくなるのに、好きなんて言えない)

(安土を去って現代に戻るから。きっと、この先二度と逢えないから……)

秀吉:もう帰れ

:もう帰る

声を出したのは同時だった。

どちらからともなく腕を解き、静かにそばを離れ、何も言わないことで、私達はさっきのキスを、お互いなかったことにした。

秀吉:駕籠で送らせる。支度するから少し待ってろ

:うん、ありがと

側近を呼びに、秀吉さんが廊下へ出て行く。

好きな人が視界に映らなくなったことが、もう寂しくて苦しい。

(……キスがこんなに上手いだとか、別れ際に、教えないでよ)

(もう、これじゃ、忘れられない)

始まったばかりのこの恋は、あらかじめ終わることが決められていた。

それでも、恋をしなければよかったとは、思えない。

ずっとずっと、身体の底で、秀吉さんへの想いが燃えていて欲しかった。