ヴェンダースという監督の作品を、特にこの『パリ、テキサス』という作品を、僕はあまり好きになれない。

女々しいからだ。

それは成瀬巳喜男のような意味での女々しさではない。

ある種の「映画」に対する感傷をひきずり続け、そのうえ、その感傷を作品にしてしまうという意味においてだ。


84年。

僕が生まれて間もないころに、このようにしか「あの、映画たち」を語ることは出来なくなっていた。

もうとっくに死んでいたのである。

そのことをあれほどまでに露骨に作品にしてしまった、彼の「映画」への愛情は変態的ですらある。




僕らはもう、ハリー・ディーン・スタントンにはなれない。

ヴェンダースの意図したように、彼を受け止めれる人は、もう現代ではマイノリティなのだ。


彼はヒューストンから、次のどこかへ向けて車で出発した。

僕らはそことつながる「銀河のはるか彼方」にいる。


(現代が映画にとって「遠い昔」と呼べなくも無いのではないか、とも思うが、

そのことはまたいつか別の機会に触れることにしようと思う。)



いま僕らにできることは何か。

宇宙の暗闇で創造的思考を続けるしかないのだ。

いやあるいは、そこは光に満ち溢れているのかもしれない。





しかしながら、


この「オトゥール(作家)」的な作品作りが、

小津、ヴェンダース、ペドロ・コスタという流れになって現代に受け継がれているのは、

僕のように未だ「映画」への愛を持ち続ける者にとって、ささやかな幸せである、とだけは言いたい。


それともう一つ。


この撮影監督、ロビー・ミューラーの画は本当に好きだ。

あんなに引きの画で違和感無く人物を撮れるのは、彼の技なのかヴェンダースによる演出なのか。

ヴェンダースの「映画」への愛情が引き寄せた、奇蹟ともいうべき映像である。