ハーモニー・コリン監督作品


『ミスター・ロンリー』



またしても良作です。


ここ最近観る作品のヒット率が高いのは、

何か怖いですね。


いや、彼の作品なら当然かもしれません。




劇場公開中は、予告篇に何か普通っぽさを感じて

観に行く気になれず、今になってDVDで観ることに。




最初は、地のストーリーの導入(マイケル・ジャクソンがモンローに出会う。)

の部分にあたり、「あれー、らしくないなあ。」って思ってたんですが、



この作品の途中途中で挿入される、

パナマのシスター達の物語の映像が出てきたところで、やられました。





観客は必ずや、

シスター達の衣服の「青」の美しさに目を奪われるでしょう。


その色にフェルメールを想起したりするかも知れません。

ラピスラズリ。


雨に濡れた熱帯雨林のくすんだ緑に、

不自然に良く映えるウルトラマリン。



この色には理由がありました。


あることがきっかけで、

シスターが飛行中のセスナ機から不意に落ちてしまうんです。



手を合わせ、神に祈りながらスカイダイビングするシスター。



服の色は空の青と同化し、その線を曖昧にする。



この画だけで、私は昇天しました笑

思わず顔がニヤけてしまった。



そして神のご加護による「奇蹟」によって、シスターは生き延びます。


その後も何度も「奇蹟」を証明するためにスカイダイビングするシスター達。


中にはBMXに乗りながら落ちていくpunkなシスターも!!




で、この映像が入ってから、

マイケルの話にも段々とのめりこんで行きました。



自分ではない、理想の誰かに同化して生きる。



そして、

自分と同じような物まねをする人たちと共同生活をすることで、

矛盾しているようですが、そこで初めて本当の他者と出会うわけです。




他者の視点に同化する、というストーリーは、

否が応にも映画的記憶をくすぐります。



おそらくジャック・リヴェットの

『セリーヌとジュリーは舟で行く』

を少し意識していたことでしょう。


(作中、カラックスが登場しますが、

彼は『ポンヌフの恋人』で、この作品に言及しようとしていました。)



赤と青。

舟。

芝居小屋でのショー。




この二つの映画の中で何が起こったか。




最後、夜の闇の中にモンローの死体を見つけたとき、

彼らは恐れおののく。


そのとき、彼らは何故かその死者にではなく、

自分の顔に懐中電灯を向け、照らし続けます。


(直前のショーで浴びたスポットライトとの対照。)



彼らはその死体に自分の姿を見たに違いありません。



闇の中に浮かぶ顔たちは、亡霊でなくて何でしょうか。



では、セリーヌとジュリーがすれ違うボートに観たものは?





作品のラスト、


シスター達の飛行機は墜落し、ついに神に見放され、死にます。



海に浮かぶ死体。



その服の色は、空の次に、海と混じりあう。



聖母マリアの服が青いのは、

「空の青」と「海の青」を表現していたのですね。



こんなに美しい死体を観たのは、初めてかもしれません。






一体彼ら、

映画の登場人物たちと、

僕らに何の違いがあるんでしょうか。





理想の誰かになりたくて、


誰ともわかりあえなくて、


でも一つになれると信じていて、


その信仰心を抱き続けて死んでいく。




苦しみながら、生きることも死ぬことも美しい。




それが美しいと感じられない者は、


孤独だけを抱き締めて死んでいくしかないのです。




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ブログの書きダメが起こってます。


次回は溝口健二の遺作、『赤線地帯』をレビューします。


個人的には、あまり良作とは思えなかったかな。