前回の続きで『ユージュアル・サスペクツ』の解説とレビューです。


②藪の中

さて、①でも登場したフィルム・ノワールの巨匠フリッツラングですが、
ブライアン・シンガーと同じユダヤ人監督である、という点だけでなく、
実は「どんでん返し」系サスペンスという作品の形式においても、
参照すべき作品を作っていたんです。

『条理ある疑いの彼方に』

という作品です。


ちょっとストーリーは複雑なので割愛しますが、
『ユージュアル・サスペクツ』との類似点が非常に多い作品です。


要は、「どんでん返し」の内容が、

二つの作品で全く同じことが描かれているんです。


まとめると以下のようになります。



「映画は完全に主人公の視点で描かれ、
その過程で観客は主人公に同化するが、
にも関わらず、
最後にその主人公によって語られていた物語が嘘であり、
観客がずっと騙されていたということが判明する。」



というものです。



この「どんでん返し」には、観客は全く抗う手段を持ちえません。


(なので、両作品ともそのためのエクスキューズとなる仕掛け
を用意しているのですが、私はその仕掛けの巧妙さの点において
ラングの勝ちだ、と言っておきたいと思います。)



一体、自分たちは2時間もの間、スクリーンに何を観ていたのだろうか?


船の上で、ヴァーバルがロープの山の隙間から、
ソゼがキートンを撃つのを見つめていた、
あの視点は一体何だったんだろうか?


なんてことはない。


私たちは、『ユージュアル・サスペクツ』の冒頭、

ロープの山にクロースアップするカメラに戸惑い、

「何があるのか」と必死に目を凝らしたはずです。



それには何の意味もなかったんです。

ロープの山は、ロープの山でしかなかったんです。


2時間、自分たちは目を凝らしてロープの山に見入っていた。



ここで黒澤明の『羅生門』(あるいは芥川龍之介の『藪の中』)を思い出すのも、
また映画の楽しみ方の一つですね。


観客は、カメラが写しだすものを強制的に観させられる存在です。


「映画は映画でしかない」


そんな言葉が頭の中を漂い、噛めば噛むほど味が出てきます。






さて、まだ終わりません笑
また次回『ユージュアル・サスペクツ』最終回とします。