昨日、(今思うとなんだか不思議な流れなんですが)
彼女さんと『ユージュアル・サスペクツ』を観ました。
主演のケヴィン・スペイシーの騙しの演技が見所の、
云わずと知れた「どんでん返し」系サスペンスですよね。
だいぶ昔に1度だけ観た記憶があって、
その当時の印象は、
「物語の展開は確かに面白いかもしれないけど、
映像作品としての面白さに欠けるよなあ」
という感じでした。
今回改めてもう一度見直してみても、
やはり残念ながら印象はほとんど変わりませんでした。
でも昔よりも、
この作品を語る語彙力を持ちえていることを実証するために、
おぼろげながらも簡単な解説とレビューを試みたいと思います。
①現代のフィルム・ノワール
「フィルム・ノワール」って言葉をご存知でしょうか?
日本語に訳すと「暗黒映画」。
30年代から50年代にかけてハリウッドで作られた
一定の傾向を持つ犯罪映画の総称です。
非常に陰鬱に描かれる社会、
常に孤独な主人公、
ある事件とそれに絡むファム・ファタールと呼ばれる女性、
事件は解決してもハッピーエンドにはならず、
ファム・ファタールは最後には罰せられ殺されるのが定石。
まだまだ特徴を挙げると切がないのですが、
物語の土台としてはこれで十分でしょう。
フィルム・ノワール作品を手がけた監督の名を挙げると、
ハワード・ホークス
フリッツ・ラング
ビリー・ワイルダー
オットー・プレミンジャー
ニコラス・レイ
オーソン・ウェルズ
ジョン・ヒューストン
ロバート・アルドリッチ
アルフレッド・ヒッチコック
などなど
錚々たる名前が並びます。
なかでも今回注目したいのは
フリッツ・ラング。
彼はもともとユダヤ系のドイツ人。
ナチス政権下からアメリカに亡命してきた監督です。
(その亡命の逸話はまさに映画のようで、有名です。
本人によるでっちあげらしいですが。)
さて、
なぜフィルム・ノワールの話とフリッツ・ラングの名前を出したかというと、
このジャンルを含め、戦後ハリウッド映画の全盛を支えていた人たちに、
こうしたヨーロッパからの亡命作家が多くいた、
ということをまず言いたかったんです。
亡命者、移民というよそ者たちは、いつの時代も抑圧されてきました。
そんな戦争の恐怖、当時の閉塞感を、フィルム・ノワールは幾分か映し出していたようです。
そして、やっと『ユージュアル・サスペクツ』に戻ってくるのですが、
この作品、その冒頭の入り方からしても、
フィルム・ノワールを意識しています。
ただし、昔のノワールとはちょっと違う。
「戦争」という事実から、
「移民、マイノリティのアイデンティティ」へとテーマの移り変わりがあるように思えます。
主人公で黒幕のカイザー・ソゼはトルコからやってきた半ば亡命者であり、
彼は作中、実体のない「まぼろし」と表現されます。
(しかし、クイヤンとの取調べの録音で、
ヴァーバル=ソゼの「声だけ聞こえる」という状況は何を意味するのでしょうか。)
作中の登場人物の多くが
外国人や移民の家系であろう設定になっているのも気になり始めます。
さらにカイザー・ソゼことヴァーバル・キントが、
社会から抑圧される身障者の振りをしていたのは、たまたまではないはずです。
今までの映画史的価値観であれば、
そんな抑圧された存在であるはずの
ヴァーバル(英語で「おしゃべり」)=ソゼ(トルコ語で「おしゃべり」)が
まんまと逃げ切る作品のラスト。
警察=観客をあざ笑い、
「この作品は、単なるフィルム・ノワール風映画ではない。」
というソゼの声が聞こえてきそうです。
つまり徹底的に現代(と言ってもちょっと古いですが)のアメリカの状況を
反映させようとした作品なのではないでしょうか。
彼らが「まぼろし」というのは、少し誇張した表現ですが、
それと同時にアメリカ社会に多大な影響力(声)を持っている人間なのだ
と。
(その一方で、
・お喋りなアルゼンチン人アルトゥーロの声に耳を貸さないで、
ソゼが射殺する
・唯一の女性であるイーディが、ほとんど成す術なく殺される。
といったこともまた、アメリカ社会の比喩なのでしょうか。。)
少なくとも、
この映画の中での多くの人間たちの死は、
現在に至るまで社会の中で虐げられ、黙殺されてきた人間たちへの供犠である
ということは出来そうです。
監督のブライアン・シンガーは、
自分がユダヤ人でありゲイであることを公表してるそうです。(ウィキ調べ)
『X-MEN』シリーズの監督である、という事実も「マイノリティ」への関心の高さ表わしているようにも思えます。
今まで多くのユダヤ人監督たちが、その鋭い眼力で社会を捉え、
そして映画の中で社会の再構成を試みてきました。
ソゼはまさにそんな、「まぼろし」=映画を体現する存在でしょう。
(取り調べの相手をしたクイヤンは、
ソゼの作りだした「まぼろし」=映画を見ていた一人の観客と言えますよね。)
映画を使って声を上げてきたユダヤ人監督たちと、
その姿はダブって見えて来ませんか?
ユージュアル・サスペクツ=重要参考人
彼らの主張を見聞きした観客のあなたには、
真の重要参考人が誰であるか、きっとわかるはずです。
ああ、この切り口は間違ってなさそうですが、
この文章量ではいまいち説得力にかけますね。
いつもながら長くなりそうなので、
続きはまた別の切り口で、次回にします。
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追記
この記事は、20世紀初頭に、L.A.に組織されたユダ
ヤ系移民を中心とした「独立系」の映画会社が、後
にハリウッドを形成することになるという、歴史的事
実に対する無知から生まれた誤謬であると言わざ
るをえません。
ハリウッドは、まさにユダヤ人たちの手によって作
られたものだったんですね。
そうすると、
マイノリティとしてのユダヤ人の
アメリカへの自己同一化と
ハリウッドの世界征服の物語
という見方が、この記事にはふさわしいでしょう。
いやいや、お恥ずかしい話です。