小さい時によく見た怖い夢があります。
暗くてじめじめした、洞窟のようなところ。
地面はぬるぬるしていて、若干の勾配があり、
気を抜くと下のほうに滑って行ってしまう。
しばらくすると、その奥の方から手が伸びてきて、
足を引っ張ってくる。
何度も見た、そのお化けの顔もよく知ってる。
頭に変な銀色の丸いものを付けてる。
髪は長く、青い一風変わった服を着てる。
なんだか彼は座った状態で浮かんでいる。
自分は下に引っ張られたらだめだ。
その先には赤い赤い地獄が待っている。
そんな恐ろしい夢を、幼稚園卒園するくらいまで見ていたと思います。
それをふと思い出したのは、
先月通ったイメージフォーラムの夏期講習でのことでした。
監督の河瀬直美さんによる授業があったんですが、
そのときに彼女の作品『垂乳女』の鑑賞もあったんです。
彼女はご存知のように、
長編デビュー作『萌の朱雀』でカンヌカメラドールを史上最年少で受賞し、
昨年は『モガリの森』(漢字が。。)で同じくカンヌパルムドールを
女性監督として史上初の受賞を果たしました。
書いてみると改めてすごい経歴ですね。
実は自分は昔、『萌の朱雀』を観たときに、
あまり作品に良い印象が持てず、
それ以来ずっと彼女の作品は観ないできたのですが、
夏期講習前に『モガリの森』を観て、
「やられた」と洩らさずにはいられませんでした。
もっと作品をチェックしておくんだったと。
ちなみに本人はどういう人かというと、
いわゆるアラフォーの女性なのですが、
やたらに発する言葉に、半ば悟りを開いたような感覚があり、
たまに仙人のようなことを言います。
小津安二郎とは違った達観の境地に入っているようでした。
意識する監督はいますか?と聞くと
「目指したいのは、ビクトル・エリセとダルデンヌ兄弟」
という答えが返ってきました。
うーん、ダルデンヌ兄弟はわかるけど、エリセは違うんじゃないか。。
と思いつつも、
彼女のヒューマニズムと「映像美」追求の姿勢が、
この二人の監督を思うことで、改めて理解できたような気がします。
しかし、彼女の話で一番驚いたのは、
「編集をものすごく大切にしている。」
「長編映画は最後の30分でどこまで観客を巻き込んで、ひきつけられるかだ。」
「普遍性」
「物語」
といった、
強烈な観客意識にもとづいた作品作りを行っていたことでした。
観客を意識することで、自分を理解し、掘り下げていく。
『萌の朱雀』からすると、
近年の作品傾向には明らかな転回があった彼女ですが、
それを
「生命のリレーの中の自分の役割を知った。」
という言葉で表現していました。
そして2006年の作品『垂乳女』。
作品のあらすじは
育ててくれたおばあちゃんと河瀬直美本人とその赤ちゃんという3世代の物語。
おばあちゃんの存在と死と、赤ちゃんの出産とその存在、
そしてその間に生きている河瀬直美本人を見つめたドキュメンタリー作品です。
観ていて、一気に感情の波に巻き込まれていくのがわかります。
この並みの作品には絶対出せないパワーを支えていたのは、
各ショットの映像美もさることながら、
まず何よりも作品全体の緻密な構成と編集の力でした。
印象深かったのは、その中の出産のシーンです。
胎盤を食べる習慣って知ってますか?
出産の際、胎盤が剥がれて出てくるんですが、
その一部を母親が食べる、という習慣です。
彼女が実際に食べるシーンが出てくるんですが、
不思議なことに、それを観ながら自分の舌の裏あたりに、
なんだか生暖かい、甘苦い血の味を私は感じました。
その時に、ふと思い出したんです。
上述の、小さいときに見た悪夢を。
あれは、ひょっとして自分が出産してこの世に出てくるときの記憶なのではないか。
でも、もしそうだとしたら足を引っ張られるってことは逆子ですよね。
はて、そんなことを親から聞いたことがあっただろうか。。
暗くてじめじめした、洞窟のようなところ。
地面はぬるぬるしていて、若干の勾配があり、
気を抜くと下のほうに滑って行ってしまう。
しばらくすると、その奥の方から手が伸びてきて、
足を引っ張ってくる。
何度も見た、そのお化けの顔もよく知ってる。
頭に変な銀色の丸いものを付けてる。
髪は長く、青い一風変わった服を着てる。
なんだか彼は座った状態で浮かんでいる。
自分は下に引っ張られたらだめだ。
その先には赤い赤い地獄が待っている。
そんな恐ろしい夢を、幼稚園卒園するくらいまで見ていたと思います。
それをふと思い出したのは、
先月通ったイメージフォーラムの夏期講習でのことでした。
監督の河瀬直美さんによる授業があったんですが、
そのときに彼女の作品『垂乳女』の鑑賞もあったんです。
彼女はご存知のように、
長編デビュー作『萌の朱雀』でカンヌカメラドールを史上最年少で受賞し、
昨年は『モガリの森』(漢字が。。)で同じくカンヌパルムドールを
女性監督として史上初の受賞を果たしました。
書いてみると改めてすごい経歴ですね。
実は自分は昔、『萌の朱雀』を観たときに、
あまり作品に良い印象が持てず、
それ以来ずっと彼女の作品は観ないできたのですが、
夏期講習前に『モガリの森』を観て、
「やられた」と洩らさずにはいられませんでした。
もっと作品をチェックしておくんだったと。
ちなみに本人はどういう人かというと、
いわゆるアラフォーの女性なのですが、
やたらに発する言葉に、半ば悟りを開いたような感覚があり、
たまに仙人のようなことを言います。
小津安二郎とは違った達観の境地に入っているようでした。
意識する監督はいますか?と聞くと
「目指したいのは、ビクトル・エリセとダルデンヌ兄弟」
という答えが返ってきました。
うーん、ダルデンヌ兄弟はわかるけど、エリセは違うんじゃないか。。
と思いつつも、
彼女のヒューマニズムと「映像美」追求の姿勢が、
この二人の監督を思うことで、改めて理解できたような気がします。
しかし、彼女の話で一番驚いたのは、
「編集をものすごく大切にしている。」
「長編映画は最後の30分でどこまで観客を巻き込んで、ひきつけられるかだ。」
「普遍性」
「物語」
といった、
強烈な観客意識にもとづいた作品作りを行っていたことでした。
観客を意識することで、自分を理解し、掘り下げていく。
『萌の朱雀』からすると、
近年の作品傾向には明らかな転回があった彼女ですが、
それを
「生命のリレーの中の自分の役割を知った。」
という言葉で表現していました。
そして2006年の作品『垂乳女』。
作品のあらすじは
育ててくれたおばあちゃんと河瀬直美本人とその赤ちゃんという3世代の物語。
おばあちゃんの存在と死と、赤ちゃんの出産とその存在、
そしてその間に生きている河瀬直美本人を見つめたドキュメンタリー作品です。
観ていて、一気に感情の波に巻き込まれていくのがわかります。
この並みの作品には絶対出せないパワーを支えていたのは、
各ショットの映像美もさることながら、
まず何よりも作品全体の緻密な構成と編集の力でした。
印象深かったのは、その中の出産のシーンです。
胎盤を食べる習慣って知ってますか?
出産の際、胎盤が剥がれて出てくるんですが、
その一部を母親が食べる、という習慣です。
彼女が実際に食べるシーンが出てくるんですが、
不思議なことに、それを観ながら自分の舌の裏あたりに、
なんだか生暖かい、甘苦い血の味を私は感じました。
その時に、ふと思い出したんです。
上述の、小さいときに見た悪夢を。
あれは、ひょっとして自分が出産してこの世に出てくるときの記憶なのではないか。
でも、もしそうだとしたら足を引っ張られるってことは逆子ですよね。
はて、そんなことを親から聞いたことがあっただろうか。。