しんでくれた
詩:谷川俊太郎 絵:塚本やすし |
2020/08/09
★ひとことまとめ★
食育の重要性を感じます。
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
うし
しんでくれた
そいではんばーぐになった
ありがとう うし
谷川俊太郎氏の詩が絵本になりました。 心に深くとどく言葉と、力強い絵で「命をいただく」ことの意味を伝えます。声に出して読めば、生きる力が湧く一冊です。
※※※帯コメントをご紹介します※※※
いきものは いきものをたべなければ いきていけません。
にんげんは ほかのいきもののおかげで いきているのです。
「いのちは いのちをいけにえとして ひかりかがやく」
そのことを わすれたくありません。
谷川俊太郎
【感想】
タイトルだけ見るとぎょっとする方もいるかと思いますが、絵本です。
なぜこの本を読もうと思ったかというと、弊社のお客様で食肉工場さんがあり(私の担当ではありませんが)、そこのお話を会社のおじさんから聞いたからです

屠殺については、私自身学生時代ファーストフード店で働いていたため、TSUTAYAなどでDVDを貸りたり本を読んで調べていました。(どのようにナゲットやパティが作られるのか。生き物たちの飼育環境など。)
ただ、日々生活していると、目にするのはパックに入った状態のお肉やお魚で、その裏では生き物の命が失われているということを忘れてしまいがちです

冗談なのか本当なのか、スーパーで売っている切り身が、そのまま海で泳いでいると思っている人もいるようですし…。。。
内容としては、主人公の男の子がハンバーグを食べるお話です。自分がそのハンバーグを食べられているのは、牛さんが死んでくれているからであり、ありがとうと感謝をするお話です。
(画像はAmazonより。)
子どもに伝わりやすい絵と文章ですが、大人が読むとそれはそれでずしんとくると思います。。。短い文章だからこそ考えさせられるというか。
終盤、男の子は自分は死ねない、両親が悲しむから、とありますが、そうなんだけど、それはそうなんだけど…と少しモヤっとしました。
動物だから悲しまないかというとそうではなくて、ゾウなんかは仲間や子供がなくなったときは弔ったり、シャチも子供の亡骸を沈まないように運びながら移動したりというように、死を悲しむということはあるようなので…。
牛も豚も鶏も、人間から見れば食べられるために生まれてきたのかもしれませんが、本人たち(動物)はそんなこと思って生まれてきてはいないはずです。
食べる側の自分は死ねない(親が悲しむから)、食べられるために生まれてきた動物は申し訳ないけど死んでね(悲しまないでしょ?)、というように受け取ってしまいました私は…。おそらくそんな風なとらえ方をしてほしくてこの書き方をしたわけではないでしょうけれど!
じゃああなたは動物を食べないんですか?と言われるとそうではないし、お肉もお魚も好きなので食べます



けれど、自分たちが食べている物の背景にはたくさんの命があるということを考えることは、何も考えずに食べるより格段に良いことなんじゃないかなと思います。
嫌い~、いらな~い、まず~い、と残しているその食べ物の背景には、犠牲(あえてこう書きます)になった命があるということ考えられれば、食品ロスも減っていくんではないでしょうか。
昔みたDVD(フード・インクや、いのちの食べ方だったと思います)の内容で衝撃だったのは、某ファーストフード店の養鶏場の裏側でした。(日本ではないです。)そこで生まれた鶏は外には出られず、屠殺されるその日まで生涯狭い小屋で過ごしていました。狭い小屋に何十、何百匹も鶏がいて、ストレスからおかしくなる鶏もいるようでした。(けれど肉になれば同じということで普通に出荷される)
鳴くとうるさいからと嘴を切り落とされたり、逃げようとジタバタした時に人間に足を折られたり、見てて悲しくなるほどひどい扱いでした。
けれど、そういう低予算で大量に育てることができているからこそ、低価格でナゲットやフライドチキンなどが提供できているということを考えると、ファーストフードを食べること自体が申し訳なくなってしまい、一時期ファーストフードで働いているにもかかわらずファーストフードが嫌になるという時期がありました

今は少しでも改善されているといいですが。
海外では、食べられる側の生き物の痛みなどを少しでも軽減するために、踊り食いや生きたまま煮るなどの行為を禁止している国もあります。ロブスターなどがその例です。(参考サイト)
よく考えてみれば、地獄の釜茹でと同じですからね…。言葉を話せないからわからないけれど、動物も「熱い」「痛い」を感じているわけです。。。
踊り食いなども日本では食文化としてありますが、そういったことを考えると、ちょっとどうなのかなあと思ってしまいます。
パックのお魚を食べるよりは、自ら”命を奪う”という経験ができるので、そういった意味では身に染みるかとは思うけれど…。。。
少し話が反れますが、私は割と大人になってから亀は甲羅と一体なんだということを知りました



アニメとかで甲羅を脱いだりするシーンがあると思いますが、大人になるまで甲羅から出られる(ヤドカリのように)と思っていたんです。。。
甲羅はあばら骨が変化したものと知ったときは驚きました

水族館にも何度も行ったことがあるはずなのに、なんで知らなかったんだろうと疑問だったのですが、最近になって理由がわかりました。
母親に言ってみたんですね。「亀の甲羅ってあばら骨なんだね~、亀は甲羅と一体なんだね~」と。
そうしたら驚くことに「え?亀って甲羅と中身は別でしょ」と…

母親は齢60程ですよ…約60年間知らなかったわけです。
このことから私が感じたのは、親や周りの大人が間違ったことを教えていたり、教育(食育も含めて)をしていないと子どもも誤解をするということです。
もちろん全部親のせいではなく、自分で成長するうちに知ることだってあると思います。親も全知全能ではないし。
けれど、子どものうちは、親が知らないこと・教えないことを子どもが知っているってことはなかなかないと思うんですよね~。
魚が切り身で泳いでると思っていたというのも同じだと思うんです。
元のお魚と、切り身が本当は一緒のものなんだよと教えていれば、切り身で泳いでいるという発想にはならないはず。。。(教えたのに忘れられたってのは別ですが)
まあなにが言いたいかというと、食育は親がきちんとしてあげるべきなんだなということです。それをどう受け取るかは子ども次第ですが、こういう大切なことを教えてあげるというのは重要なことだと思います
